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震災6年目 東北の被災地・被災教会の今

8月22日から、山口の大坪英彦さん、宮崎の上門豊明さん、佐藤で、6年目の被災地を訪ねました。
宮崎組は、朝一番で羽田に飛ぶはずでしたが、羽田が台風の影響で飛行機が欠航。
宮崎空港には200人くらいの人が殺到していて、大阪経由、名古屋経由は全部満席でした。
ようやく空席のあった、宮崎~福岡。福岡~花巻空港の便に乗ることができました。
写真は福岡空港です。

飛行機は、台風を避けて日本海側を通り、岩手県の花巻空港へ。
花巻空港からバスで花巻空港駅へ。
40分ほど待って、下りの、一ノ関行きがきました。

ホームに出たとき、こんなものに気がつきました。
農協の肥料倉庫のようなものの壁に、巨大な絵が描いてあります。

よく見ると、これはあの人だ、とわかりました。
花巻は、宮沢賢治のふるさとなのです。
うつむいて、とぼとぼと歩いている姿が、「東北らしい」のかな・・・と不思議に思いました。

22日の夜は、いつもお世話になっている愛隣印刷所の阿部さんのお宅で、夕食に呼ばれました。
震災のとき小学生だった結子さんが、来年から中学生になるそうです。
お母さんより、背が高くなっていますね。
あれから、もう6年目になるのです。

気仙沼女子高校は学生が減って廃校になり、そこは、災害復興住宅の建設中でした。
港付近は更地になっているところが目立ちます。

小学生が描いた大きな看板。

もと、第18共徳丸があったところも下さ上げ工事が進み、すっかり変わってしまっています。

陸前高田市に行きました。
「奇跡の一本松」のレブリカが立っています。
かさ上げに使われていた巨大なベルトコンベアは撤去され、広い・広い埋立地になっています。

元・市街地の北側の、職員住宅は一棟だけ残っています。
あの時のままです。

道を走っていてよく目につくのは、県外のトラックです。
これは旭川から来ているダンプトラック。
この車、東北で、もうどれくらい働いているのでしょうか。

なんども訪れた、釜石に入り口にあった町並みは、すっかりなくなっていました。 かさ上げされ、きれいに整地されて、ここはこれからどうなるのでしょうか。

釜石の、入口の交差点に、かつて警察署がありました。
な・ん・と・・・、その場所がパチンコ屋さんになっています。
どんな経緯があったのでしょうか。

大槌町に入りました。
かさ上げ工事がほぼ終わった状態なのでしょう。

元・大槌小学校はきれいに改装されて町役場になっています。
その一角に、火災をくぐり抜けて、幹が焼けただれていた銀杏がありました。
樹勢はやや衰えているようですが、小さな緑色の葉っぱがついています。
まだまだ、生きています。

大槌小学校の閉校記念碑。
二宮金次郎の銅像が、うしろに隠れてしまいました。

城山公園から見た、大槌町の光景です。
津波のとき、ここにはたくさんの人が逃げてきました。
そしてここから、町が流され、焼けてしまう様子を見ていました。
写真の左側・中央部に町役場が見えます。

町役場の建物の一部が「震災遺構」として保存されています。

何か訳があって、かさ上げができなかったんでしょうね。
10基くらいの墓が、元の高さのまま残っていました。

城山公園で見かけた花。

町役場です。
今でも、ここを訪れる人が絶えないようです。

大船渡に行きました。
大船渡駅の近くに、新しくできた仮設の商店街。

店の中には、誰かいるようですが、お客さんはいません。

大船渡駅。
今は、BRT・・・バス専用の道路・・・になっています。

2011年の8月に、14人のチームで瓦礫拾いをさせていただいた陸前高田広田地区の田んぼ。
稲が栽培されていました。
元にもどって良かったですね。

すぐ近くの海岸にも行きましたが、そこは、あの時のままでした。

陸前高田には、海岸線に「高田松原」という美しい松林がありましたが、津波で全滅。
松林のあったところには、非常に大きな、そして高い、防潮堤が完成しつつありました。

気仙沼市階上の海洋高校跡。
校庭は大量の土が置かれています。
海洋高校の授業は別の場所で、いまもまだ、仮設の教室で続けられているそうです。

津波がこの上を通って行ったのに、「残った残った」と頑張った、気仙沼出身の横綱秀ノ山の銅像。
岩井崎にあります。

震災以降たいへんお世話になった、気仙沼第一聖書バプテスト教会を訪ねました。

会堂の脇に、芙蓉の花が静かに咲いていました。

南三陸も訪ねました。 あの、防災庁舎も震災遺構として保存される方向で話があるようです。 ただ、この周囲は非常に高くかさ上げが行われていて・・・埋められてしまいそうな感じです。

南三陸町長清水(ながしず)地区の、阿部民子さんに会いに行きました。
阿部さんは津波で家と作業場を流され、おじいちゃんを亡くしました。
ただ、船は無事だったので、震災後養殖を再開、ご自分は「たみこの海パック」という通販販売を始められました。
昨年の冬、ようやく自宅を再建。
これが、そのお宅です。
おみやげとお祝いをお渡ししました。

「海パック」の事務所の前で。

作業小屋も再建され、いま、牡蠣の養殖の準備の真っ最中、とのことでした。
ホタテの殻に牡蠣の種をつけるのだそうです。

今回の東北訪問のしめくくりは、「牧羊キリスト教会気仙沼チャペル」として新しい出発をされた阿部さんたちのところで、祈祷会のご奉仕をする、ということでした。

ここでは、平日に何度か、近所の人たちが来られ、「カフェ」が開かれています。
おいしいコーヒーをいただきながら、ここにあるような作品を作ることもしておられるそうです。
地域の憩いの場、となっているんですね。

祈祷会で、思いがけない出会いがありました。
熊本吉雄さんという方で、気仙沼市の職員でした。
市民課勤務で直接震災対応にあたり、戦場のような現場を体験された方です。
退職後、「あら汁」という詩集を出版され、私もそれをいただきました。
今回は、河北新報社が出した詩集「震災のうた 1800日の心もよう」をいただきました。
その中から、熊本さんの詩を2句。


「なんだか自分もガレキになっちまった ガレキはガレキを片付けられない」
「5年経つ、ただそれだけのことなのにぞわぞわざわり息が苦しい」


震災から6年目、関東から来ているというボランティアのお話です。
「私はもう、被災地、被災者ということばを使わないようにしているんです。」


心の中に傷を持ちながらも、人は前に向かって進んでいかなければなりません。
復興に携わる人すべてに、神様の祝福があるように祈ります。
また、続けて祈り、支援してくださる人たちに、心から感謝します。

JMF委員 佐藤省三(宮崎南教会)

震災5年目 被災者・被災教会・被災地の今
“Now of affected people, affected church, and stricken area damaged in tsunami disaster of the fifth year”

下関の山の田福音教会の大坪英彦さんの協力を得て、大震災から5年目を迎えた、被災者・被災教会・被災地を訪ねました。
私は6月15日早朝に宮崎空港を出発、東京からは東北新幹線、一関からは大船渡線で、いつもの宿泊地である気仙沼に着いたのは、午後4時過ぎでした。
早速レンタカーを借り、気仙沼市内を回りました。

I visited the affected people, the affected church, and stricken areas that greeted the fifth year from a great tsunami disaster with cooperation of Otsubo Hideaki San of the Yamanota Evangelical church of Shimonoseki city. I left the Miyazaki Airport on the early morning of June 15, and I went Ichinoseki from Tokyo by JR Tohoku Shinkansen , and I used JR Ofunato line from Ichinoseki, and it was past 4:00 p.m. that I arrived at Kesennuma with the usual staying place. I borrowed a rent-a-car at once and went around the Kesennuma city with Otsubo San.


気仙沼港で気がついたのは、船が昨年より多くなっていること。

I noticed that more a lot of ships than last year at anchor in the Kesennuma harbor.

これは佐賀県から来ている船でした。

This ship came from Saga prefecture in Kyushu of the southern island.

そして、港から見えていた気仙沼女子高校が解体されている光景。
気仙沼でも人口が減少していて、この高校はついに生徒募集を止めたのです。
そして・・・。
ここには、災害公営住宅ができるとか。

And this is the scene that the Kesennuma girls’ high school is dismantling seen from the port. Population decreased in Kesennuma too, and this high school stopped recruitment of students at last. There seems to build the disaster public (apartment) housing in this place instead.

鹿折地区に行き、展望台に上ると、周囲の光景が以前とは変わっていました。
以前の姿はほとんどなくなっていて、かさ上げ工事がかなり進んでいます。

We went to Shikaori district, and when we went up to the observation platform, it was changed the scene of the around the city before. There became few former figures or scene, and padding construction considerably advanced.

いつかここで、人々が暮らすようになるのでしょうか?

Will people come to live by carrying it out sometime here?

前回訪れた、気仙沼南小学校の跡地は、災害公営住宅が完成していました。

In the ruin that we visited Kesennuma Minami Elementary School before, the disaster public apartment houses were completed.

記念碑だけが残って・・・。

Only the monument of school was left …

ここが震災後ガレキ置き場だったなんて、誰にもわからないでしょう。

Nobody will know here after a big tsunami disaster to have been a debris place.

何度かご紹介した散髪屋さんだった佐藤さんご夫妻は、抽選に当たり、ここに2番目に入居したのだと教えてくれました。

Mr. and Mrs. Sato which was the haircut person that we introduced several times told us on drawing lots when they secondly entered it here.

その入居式には安倍首相がお祝いに駆けつけ、懇談会のとき、首相の横の横にご夫妻で座り、いろいろ話しをしたんだよ、とうれしそうに話してくれました。

The Abe prime minister rushed to the celebration of the start living in the apartment. Mr. and Mrs. Sato sat down beside the side of the prime minister and they talked with him in various talking at the time of meeting. They told us joyfully about the state of the celebration.

そのあと被災した気仙沼第一聖書バプテスト教会の跡地に行ってみました。

We went to the ruins of Kesennuma First Bible Baptist Church after that.

盛り土がしてあって、もとの姿はありません。
ただ、前に見たことのある花が、今も咲いていました。

Heaping up a lot of earth and sand and there is no former actual state of place. Only the flowers are coming out now I saw before.

前回工事中だった教会堂が完成し、今年4月29日が献堂式でした。
300人の人たちがお祝いに駆けつけ、外にテントを張り,テレビモニターを見ながらの献堂式だったらしい。

A cathedral or church building under construction last time was completed, and April 29, this year was a dedication ceremony. 300 people rushed to the celebration and pitched a tent outside without many people finishing entering inside, and the outside persons participated in a dedication ceremony while they saw a television monitor.

教会堂の裏手には、流された元の会堂の十字架が立てられていました。

The cross of the former cathedral which was strolled around by a tsunami put up in the back of the church building.

そして、その根元のところには、前の会堂の「礎石」がはめ込まれていました。
新会堂が出来て、3年後の津波だったんだ。

And, “the cornerstone” of a former cathedral was fitted in the place of the root. They had a new cathedral and it was the tsunami three years later.

祈祷会に出席しました。
顔見知りの人と、昨年秋に洗礼を受けたご婦人と会いました。震災後聖書を読み、救いを求めてこの教会に来られたのだという。

We attended the prayer meeting of the church. We met some acquaintances and a woman who baptized last autumn. She came to the church asking for God’s grace after the big tsunami. She was already reading the Bible.

大坪さんからのお土産が披露されました。
手作りの、かわいい「100匹の羊」。

It was introduced the present from Otsubo San. They were very pretty and handmade cookies of “one hundred of sheep”.

礼拝堂の中は、2本の「虹」がモチーフになっている大きな梁が入っていました。
美しい礼拝堂です。

Two big beams that “a rainbow” became the motif were in the chapel. It was a beautiful chapel.

正面は明るく、背景に「麦」のモチーフ。
豊かな実りを表しているのだそうです。

The surface is bright, and the motif of “wheat” is in the background. And it seems to express the rich harvest.

私たちも何度もこれに宿泊させてもらった「祈りのセンター」が、事務所としてまだ使われています。

The prefabricated house as “the prayer center” that we stayed many times is still using now.

被災地は物価が上昇しています。
とくに建築関係が2倍以上になったそうです。
教会も、会堂は出来ましたが、予算を使い果たし、土地は準備ができましたが、牧師館や交流センター等の施設が出来ません。

それで、嶺岸浩牧師は仮設住宅に入ったままです。
仮設住宅というのはもともと2年くらいしか住まない作りになっているそうですが、4年経って、そこにあと2年以上住むことになるのだと、話しておられました。

The price of everything has soared in the stricken area. Construction relations seemed to double in particular. In their church, the cathedral was made, but exhausted a budget, and the land was able to get already, but such as the parsonage and interchange center cannot build yet.
Therefore pastor Minegishi still lives in the temporary housing. Only as for another around two years, temporary housing can live and seem to make it. He lived with a family until now in temporary housing for four years, but another two years or more seem to live. He told us like these.

そのあと、階上地区の岩井崎に行きました。
ここには、気仙沼向洋高校がありました。津波で全壊し、一部は取り壊されたものの、まだ校舎がそのままになっていました。

After that we went to Iwaisaki of Kaijo district in Kesennuma city. This is a ruin of Kesennuma Koyo High School. This was destroyed completely by a big tsunami, and part was demolished, but the school building has been still broken.

岩井崎には、津波にも「残った、残った」とがんばった横綱「秀ノ山」の銅像があります。

There is a bronze statue of Hidenoyama of Yokozuna or grand champion who did the best saying “Nokotta and Nokkotta or Stayed and Stayed” for a tsunami disaster in Iwaisaki.

南気仙沼地区に戻ってみました。
かさ上げ工事が進み、取付道路を作っているところに、まだ前回見た車がそのまま残っていました。

When we came back to the Minami-Kesennuma district, the padding construction advanced at a fast pace. And the wreckage of the car which I looked at las time still remained on the access road under construction.

港の周囲には、こんなコンクリートの壁が作られています。
まもなく、全部、壁に囲まれてしまいます。

A wall of such a concrete is made around a port. The area is all surrounded by the walls soon.

前の鹿折駅は、線路が撤去され、BRT(バス専用道路)の駅になっていて、バスが走ってきました。

In Shikaori Station to see before, all the tracks were removed because of a tsunami disaster, and it was there instead at the station of BRT (road for exclusive use of the bus).
The bus is coming now on this road.

港のそばにはまだこんなものが。

There are some wreckage things near the port.

水門が壊れたまま、放置してあります

The water gate is left unattended being broken.

いつもお世話になっている愛隣オフセット印刷社の阿部克衛さんとご家族に会いました。そしてまた、夕食のご招待をいただきました。感謝 !!

We met a family of Abe Katsuei San of Airin Offset Printing Office that always taking care of us. And they invited us to dinner again. Thanks!!

阿部さんご夫妻は、海岸近くにゲストハウスを兼ねた自宅をもっておられましたが津波で流されました。
印刷所経営が震災前の水準には戻らないので、「自宅の建築はやめました。」と話しておられました。

気仙沼第一教会はここで礼拝をしていました。
新会堂が出来ましたので、一部屋が空きました。
阿部さんはここを、誰でも立ち寄り、本を読んだり、お茶を飲んだり、ゆっくり過ごせるおもてなしの部屋にしたいなぁ、と言っておられました。
これからが楽しみです。

Mr. and Mrs. Abe had an own house with a guest house near the seaside, but all of them washed away by the tsunami disaster. He said to us, “We have to stop making a new own house because our management of printing office will not be able to get back to our management level before the tsunami disaster.”
Members of Kesennuma First Church had worship a part of here. But they moved to new church building for worship. And then this room is vacant now. Abe San said that dropped in anyone in this room and read a book and drank tea and talked to the room of hospitality to be able to spend slowly when they wanted to do it. He has a plan for the people here.

それから、南三陸を目指して車を走らせました。
本吉地区でまだ壊れたままの鉄道が残っていました。

Then we drove a car towards Minami-Sanriku town. The broken elevated railways were still left in the Motoyoshi district.

南三陸の歌津地区です。
左手の山の、くぼんだところに白く見えるのは、「歌津大橋」があった跡です。
今は、橋が撤去されています。
右手には、まだ津波の遺物が残っています。

This is Utazu district of Minami-Sanriku. You can see the ruin of “Utazu-Ohashi or bridge” in the low ground of the left mountain. The bridge is removed now. You can see the wreckage of building by tsunami disaster still there on the left.

大坪さんは、船舶用の、こういう大きな機械を作る仕事をしておられるとか・・・。
興味深そうに見ていました。

Otubo San seems to work to make such a big machine for the ship …. He showed interest in this machine very much.

南三陸の防災対策庁舎です。
周りはかさ上げ工事が進んでいて、なにか、埋まってしまいそうにも見えます。

It is a former disaster prevention local government building of Minami-Sanriku town.
As for the rotation, padding construction advances, and this building seems to be buried at any moment.

南三陸の長清水(ながしず)地区の、阿部たみ子さんの事務所です。

This is Abe Tamiko San’s office in Nagashizu district, Minami-Sanriku town.

今回初めて、たみ子さんのご主人と会いました。
そして、地震と津波のその時のお話をくわしくお聞きすることが出来ました。
これはご主人の船です。

This is my first time to meet Tamiko San’s husband, and we were able to hear about the time of an earthquake and a tsunami fully from him. This is his ship.

流された加工場のあとに、5年目にしてようやく新築工事が始まりました。
生コンが手に入らなくて、工事が非常に遅れているそうです。

To the trace of the fish processing factory which was swallowed by tsunami, at the beginning of the 5th year, finally it began a new construction of the factory, but soft concrete is not available, and construction seems to be late very much.

阿部さんご夫妻です。
ご主人の話しは、大坪さんの「ボランティア報告」に詳しく記されています。
ぜひ、そちらをご覧ください。

This is Mr. and Mrs. Abe. Mr. Abe’s story is written in the JMF HP of “volunteer report of Otsubo San clearly. I recommend his report very much.

神割崎仮設住宅に、支援物資のお米と、山の田教会のご婦人たちが作ってくださったクッキーを配布しました。
自治会長さんにお願いして許可をいただき、皆さんとお話も出来ました。

We went to temporary housing of Kamiwarisaki, and handed out the a bag of rice and cookies made from women members of Yamanota Fukuin Church to the people of here as daily necessities for support. We got a permission of meeting people here from the community leader, and we talked with them.

長清水地区です。
ここもかさ上げ工事が進んでいますが、ここは「危険地区」ということで人は住まない、ということでした。
被災した方は、高台に家を造り始めました。
津波に遭わなかった3軒は、そのままとり残されてしまいました。
これも、寂しい話しですね。

This is Nagashizu district. Here is also advancing the padding construction, but this place is appointed “the danger area”, so nobody can live here. The Affected people are beginning to make their houses on the hill. Three houses which did not encounter the damage of tsunami were just left behind there. This is a lacking story, too.

岩手県沿岸部の被災地訪問。

陸前高田市を訪ねました。
「ど根性一本松」です。
本物の松は地盤沈下で海水に根がやられ、枯れてしまい、これは一部がレプリカです。

We visited the affected area of the Pacific coast. And we visited the city of Rikuzen-Takata. This is “Guts Ippommatsu pine tree”. A root corroded the genuine by seawater by subsidence and had died. This is a replica.

陸前高田の大ベルトコンベヤーは異様な感じがします。

I feel a very strange the big conveyer here.

街全体が埋め立てられつつあります。
以前、個人で震災遺構を残すんだとがんばっておられるビルを紹介したことがありました。
あのビルの、一番高いところまで、津波が来たのです。
道路は全部立ち入り禁止になっていて、その場所に行くことも出来ませんでした。
どこもここもかさ上げ工事でした。
あのビルはこれからどうなるのでしょうか。

The whole town is buried. The building which did its best has introduced that a certain person left earthquake disaster remains of memories structure before. The tsunami came to the top of that building. We could not go the place because the road was no entry now. Anywhere, they did the padding construction. What will happen to that building from now on?

その中で、公務員の宿舎が一棟だけ残っていました。

One lodging of the public employee who suffered from a tsunami in that was left.

気仙中学校も、まだ残っています。。

And Kesennuma Junior High School that suffered from a tsunami that is left.

釜石市に入り、何度か訪れたことのある被災した地域です。
更地になっています。

We entered the city of Kamaishi where we had often visited. The affected area became vacant.

釜石の、元警察署の跡。
ちょうど交差点にありましたが、ここも更地になっていました。

This is ruin of Kamaishi Police Station. It was just beside the crossing road before, but this is also vacant place now.

天気が悪かったので、そのまま大槌町まで走りました。
もと、大槌小学校だったところ。
震災後、焼けただれていましたが、今は、きれいにお化粧して、町役場になっています。

We drove to Oduchicho town without stopping because the weather was bad. This is a former Oduchi Elementary School’s place. After a disaster, this school was burnt, but it made up neatly now, and it became the town office.

閉校記念碑が作られていました。

This is the memorial of closing school.

うしろには、二宮金次郎の碑。

The statue of Ninomiya Kinjiro who was the symbol of education is back of it.

ここで、何よりもうれしかったのは、この焼けたイチョウの木が元気だったこと。
震災直後の2年くらいは「枯れてしまった」と思っていましたが、そこからイチョウは蘇ったのです。
東北の被災者の心意気を示しているような木です。

It is that the tree of this burnt ginkgo was fine to have been glad above all here. I thought that this tree “to have died” for around two years just after the earthquake disaster, but this ginkgo revived from time. This tree seems to show the disposition of the victims of Tohoku.

しかしここも、町の様子は一変していました。
「かさ上げ、かさ上げ」です。

But this is also changed the state of the town completely. Everywhere are “padding and padding”.

城山公園に上り、大槌の町を見下ろすと・・・。

We went up to the Shiroyama Park, and we looked down the town of Oduchi ….

左手中央に小さく見えるのが、町役場跡です。

It is a town office trace to look small in the left hand in the center.

公園の道ばたに咲いていた花。

This is the flower which bloomed on the roadside of the park.

震災記念の「希望の灯り」。

This is the “light of hope” of the earthquake disaster memory.

元、町役場に行くと、高校生の修学旅行でしょうか、地元の青年が説明をしていました。

When went to the former town office, a group of high school students of trip are hearing an explanation of disaster from a young man as a volunteer.

祈りを捧げる祭壇。
十字架もありました。

This is the prayer alter, and there are two crosses, too.

少し南下して、大船渡に着き、港に行きました。
港全体を囲むように、こんな防潮堤が。

We went to the south some kilometers, and we arrived in Ofunato, and then we went to the harbor. We found such a big sea wall as if it surrounded the whole port.

巨大な水門です。
いざ、震災のとき、これを誰が動かすのでしょうか。
電気は止まるでしょうし、人は・・・?
水門を閉めに行って亡くなったたくさんの消防団員のことが思い出されました。

This is a huge water gate. In case of emergency, who can move this water gate? I think electricity doesn’t work, it is impossible to close it by human hand …. I remembered many fire men died went closing the gate at that tsunami disaster time.

大船渡駅があった、町の中心部です。
去年まであった「時計塔」は、撤去されていました。
もう5年目ですよね。

This is the place of former Ofunato Station in the center of the town. “The Clock Tower” which was until last year was removed. It is already the fifth year of the disaster.

気仙沼に戻り、大浦地区を訪ねました。
ここは、何度もボランティアで行ったところです。
吉田造船所の前の震災の時の「SOS」のサイン。
「50」と書かれています。
ここに50人いる、助けて、という意味だったのでしょう。
大坪さんが、「これは船用のペンキで書かれている」とのこと。
5年経っても、剥げないんだと。

We went back to the Kesennuma and visited the Oura district. We visited here many times as a volunteer worker. This is Yoshida shipyard. When tsunami came here, they wrote sign of “SOS” and “50”. Their signs are still remain now. They are means, there are fifty people now, please help us, aren’t they? ”These signs are written with painting for ship” said Otsuba San. It already passed five years, but they did not come off from the shipyard.

2011年の8月に、各地のメノナイト教会から送られた14人で、まぐろの網をほどく仕事をしたところ。
網元さんの家もなくなっていました。

We did work to disentangle some nets of the tuna fishing by 14 volunteers whom we were sent to in August, 2011 by Mennonite churches of each place in Japan here. There is not the house of a fishermen’s boss of them any more now, too.

同年の7月に来たところ。
田んぼの中のがれき撤去をしました。
ここはかなり大変でした。
そのあと、水田に戻って稲作が行われました。
今、埋め立てられて資材置き場になろうとしています。

We came here in July of the same year. We removed the debris in the rice field then. The work here was considerably great. After that it came back to the rice field again, and a farmer had worked on rice growing here. But the rice field is filled up now, too and is going to become the material place for construction.

被災地訪問の最後のハプニングは、「パンク」でした。
車がガタガタッとしたので、すぐ止まり、スペアタイヤに交換。
こういうことは、大坪さんがお得意らしく、実に手際よくタイヤ交換をしてくれました。

The last incident of the stricken area visit was a flat of the tires for us. The car has stopped during our driving immediately as a sound of rattling. It was a punk. We decided to change it for a spare tire at once. Such a thing was good at Otsubo San. He changed a tire really skillfully.

まずレンタカーの会社に電話しました。
「もし、タイヤが破れていたら、運転者の責任です。弁償してください。」
と言われたので、とりあえずレンタカーの会社に行き、パンクしたタイヤを調べてもらったら、小さな釘の穴が一つあるだけでした。
それで、
「今回に限り、無料でいいです。」
というおことば。
ありがとうございます。

最後までしっかり守られた旅でした。
感謝。

And then we telephoned the company of the rent-a-car. It was an answer, “it was the responsibility of the driver and, please compensated it if a tire was torn”. We went the company of the rent-a-car first of all. And they have checked our flat tire. Then one hole of the small nail was only on the tire. Because the man said, “the free of charge were enough this time”. We spoke thanks and left the company of the rent-a-car.
It was our trip kept well till the last. Thanks.

 JMF委員 佐藤省三(宮崎南教会)

〔Written by Shozo Sato of a member of JMF and Miyazaki-Minami church pastor 〕
〔Translated by Takanori Sasaki〕

あれから3年半 被災地訪問・・・気仙沼周辺

大震災から3年半が経ちました。
今年の夏も教会から夏休みを頂いて、妻と車で、東北の被災地を訪問しました。
8月17日の夕方、宮崎港からフェリーで出発、大阪南港に到着、知人を訪問し、21日に気仙沼に入りました。
曇りがちの天候が続き、写真があまりきれいには撮れませんでした。
ここは気仙沼南小学校の跡地で、以前、何度か紹介したことがあります。
しばらくは自動車のガレキ?置き場でしたが、校舎も撤去、更地になり、災害公営住宅の建設が進んでいました

ここは、市内を流れる大川沿いです。
川向こうの、南気仙沼地区を見ると、かさ上げ工事が進んでいて、もとの光景は無くなってきていました。
しかも、かさ上げの高さが・・・高いですね。

会堂・牧師館が流された気仙沼第一聖書バプテスト教会は、ようやく新会堂の建設工事が始まっていました。
建築費の高騰で、まず礼拝堂だけ先に作ることになりました。
牧師館は先延ばしになり、嶺岸先生はまだまだ仮設住宅住まいです。

これは8月の写真です。
基礎にコンクリートを流す作業をしていました。

そして、一ヶ月後の9月、棟上げの工事となりました。

現在(2014年10月)は、外装工事が終わり、内装に入っているそうです。
完成は、来年2月の予定です。

南気仙沼に行ってみると、いくつかのところを残して、かさ上げ工事が進んでいます。

かさ上げされた土地の上に、どうしたんでしょうか。
震災時のままの姿をさらしている車が一台ありました。

もと、「第18共徳丸」が打ち上げられていた鹿折地区のその場所には、こういう展望台が作られていました。
共徳丸は、震災遺構になるという話しもありましたが、市民の反対が強く、既に解体されました。

上の方には、こういう表示がありました。

展望台の上から眺めると、こういう光景です。

木曜日の夜、気仙沼第一教会の祈祷会に出席。
久しぶりに、皆さんと語り合い、祈りを捧げました。

日曜日の朝、以前、泥かきのボランティアで訪れた、もと、南気仙沼駅の近くに行ってみました。

ちょうどご主人と奥様がおられて、当時の写真などを見せてくださいました。
そして、この場所は、最初は市から、「ここに住んで良い」と言われていたそうです。
それで、家と木工所の修理をしてここで仕事をしておられましたが、最近になって、「ここはかさ上げするので、家を解体してください」と、言われたそうです。
その高さは、上の写真の、線路の高さ。
たいへん困惑しておられるようでした。
かさ上げが終わり、家を建てて住めるようになるのに、さらに今から6~7年かかると。
「たいへんですねー。」
という他に、ことばがありませんでした。

日曜日は、第一教会の礼拝に出席しました。
メッセージをしておられるのは、嶺岸浩先生。

礼拝後の、愛餐会。
新会堂の建設工事が進んでいて、みなさん、明るかったです。

礼拝が終わって、南三陸に向かいました。
途中で、こんな新しい建物ができていました。

いろいろなところにチェーン店がある、ルートインホテル。
いまは災害復興でにぎわっているそうですが、それが落ち着いたら、老人保健施設にする、ということで、高層建築ではなく、3階建てになっています。

本吉地区の、気仙沼線の鉄橋跡。
ここはまだ、被災した時のままです。

津波に浸かって、元気のなくなってきている杉の大木。右手の杉が弱っています。

南三陸、歌津地区の様子です。
ここにあった歌津大橋は解体されましたが、あとはそのままです。

南三陸の防災対策庁舎跡。
どうやらこれは、国の支援があって、震災遺構として残るようです。

南三陸、長清水(ながしず)地区の、阿部さんといっしょに記念撮影。

長清水地区を案内してもらいました。
ここは、彼女の家があった場所です。

水門の「塔」がありますが、あの上1メートルの高さの津波がここを襲いました。

水門から奥の方を見た写真です。
ここは平地が、細長い三角形をしており、押し寄せた津波が奥に行くに従って高く盛り上がり、標高35メートルくらいのところまで来たそうです。
彼女の義父は、津波が来たというので山の方に向かった逃げたそうです。
ところが、おじいさんは行方不明のままで、しばらくして海から遺体が上がったということでした。
しかも、損傷が激しく、DNA鑑定でようやく、本人確認ができたということでした。
この地区には、35戸の家がありましたが、そのうち無事だったのは、わずか2戸でした。

この地区の人たちのために、近くの山を削って、宅地造成工事が始まっていました。

皆さんの住居は、ここです。
しばらくは、仮設住まいです。
漁業と農業の小さな町、ここで仕事が無くなった人たちが、他の町に流出しています。

復興の「地域格差」もあるようです。
どれ一つとっても、たいへんな仕事ですが、被災地が一日も早く復興するように、祈るばかりです。

震災救援コーディネーター 佐藤省三

2013年クリスマス、被災地訪問
Christmas season in 2013, Visiting the affected areas

大震災から2年と9ヶ月が経ちました。
今回は4人のチームでクリスマスプレゼントを持って被災地を訪問しました。
参加者は宮崎南教会から3人、福岡の博多教会から1名でした。

Two years and nine months passed from the great earthquake disaster including tsunami. We visited temporary housing of the affected area with a Christmas present by the team of four people this time. The participant was three persons from Miyazaki-Minami church and one person from the Hakata church of Fukuoka prefecture.


12月8日に博多でクリスマス集会があり、夜、博多駅を通りました。
We had Christmas worship and the prayer in the Hakata church on December 8, 2013. After that, we walked in front of the Hakata railroad station.

こんなクリスマスツリー(?)もあり、たくさんの人たちが集まっていました。
何か、クリスマスコンサートが開かれているみたいでした。
A lot of people gathered there looking at the Christmas trees like these. And they have a Christmas concert there, too.

12月10日

さて私たちは、飛行機と東北新幹線を乗り継いで一関に行き、そこからはレンタカーで気仙沼に着きました。
今回は、寒さもありましたので、こんなホテルに泊まりました。
いよいよ訪問です。
On December 10th, we went to Ichinoseki city by airplane and Tohoku-Shinkansen bullet train from Miyazaki city of Kyushu. And we arrived at Kesennuma city from there by a rent-a-car.
We stayed at the hotel like this because of cold this time not a prayer center of the prefab house of the church.
Now is the time for visiting the temporary housing of the affected area.

仮設住宅に届けるクリスマスプレゼント、それは「お米」です。
第一回分を仕入れて、JMFと気仙沼第一聖書バプテスト教会のシールを貼ります。
The present to give to the temporary housing resident is “one bag of rice”. We purchase rice from a local rice shop for the distribution of the first share. And we put the name-seal of the JMF and the Kesennuma First Bible Baptist Church.

気仙沼第一聖書バプテスト教会が新しく購入した土地には、プレハブの「祈りのセンター」があります。
そこで、お米といっしょに配布するパンフレットの準備をしました。
There is a prayer center of prefabricated house that the land which Kesennuma First Baptist church purchased. Therefore, we prepared the distributing brochure with rice.

そして、水梨地区にある仮設住宅に一軒一軒届けて、お話を伺いました。
ここは去年の夏も、6名でボランティアに訪問したところです。
今回は冷たい雨が降ってきて、ちょっと大変でした。
We distributed the present one by one house to temporary housing of the Mizunashi district and heard their story of living. We visited here with six people of volunteer last summer too. It was cold raining this time. So we were slightly serious.

第一回分を終えて、記念撮影です。
だいぶ濡れましたが、皆さま、ご苦労様でした。
We finished the rice distribution of the first share. And it was taking a ceremonial photograph. We got wet considerably because of rain but we were fine. Thank you very much for your serving.

ちょっと冷えたので、お昼は市内の田中前というところにある、「麺八珍」というラーメン屋さんでいただきました。
これは「気仙沼つみれラーメン」です。さんまのすり身が入っていて、薄味で、とてもおいしかったですよ。
Because we got cold a little, we ate our lunch in ramen shop called “Menhacchin” in Tanakamae in the city. It was very delicious with saury fish paste and it tasted so bland for me.

食事の後、もと気仙沼第一聖書バプテスト教会の会堂があったところに行ってみました。
すっかり更地になっていました。
ここは津波危険区域に指定され、人が住めなくなったのだそうです。
右手の堤防のむこうはすぐ海です。
After lunch, we went to the Kesennuma First Bible Baptist church where it was before. It completely became a vacant lot. It was appointed in the tsunami danger zone by the city authorities, and this place did not seem to be a compound. The other side of a dike seen on the right is the ocean immediately.

午後は北の方に、・・・陸前高田方面に行きました。
高田松原で一本だけ残った松は、地盤沈下のため枯れ、今は人工のモニュメントになっています。
In the afternoon, we drove to the north …we went to the district of Rikuzen-Takata city. The pine which only one of them was left in Takata pine groves died because of subsidence and, as for it, it is to an artificial monument now.

気仙川にかかっていた仮設の橋のそばで、新しい橋をかける工事が始まっていました。
Construction to build a new bridge began at the side of a temporary bridge built over the Kesen River that flows through the city.

元の陸前高田市は、市役所も病院も体育館など、何もなくなっていますが、個人所有のこのビルは、民間の震災遺構として残しておられるのだそうです。
The city hall, the city hospital, and the city gymnasium were destroyed by that tsunami, and then the city authorities had removed these all of them. Only this building owned by an individual is left now alone. It seems to leave it as private earthquake disaster remains.

ビルの屋上の、さらにその上まで津波の水位があった・・・、考えると恐ろしいことです。
There seemed to the water level of the tsunami to the top of the roof of this building……it is terrible when I think about it.

大船渡に行った時、元大船渡駅の近くで、あの時計塔を発見しました。
周りはすっかり空き地になっています。
道路はかさ上げされていて車が行き交っていましたが、忘れ去られたようにまだ、大震災の「あの時」を示し続けています。
We found that clock tower near the Ofunato railroad station where it was before when we went to Ofunato city. The neighborhood already has completely become the vacant land now. The road is raised, and vehicles come and go, but that clock continues still showing “that time” for great earthquake disaster as totally forgotten.

帰りには雨がやんで、温かい日が差し始めました。
陸前高田で、合同宿舎だった3棟の建物のうち2棟は撤去され、これだけが残っていました。
震災の遺構になるのでしょうか。
When we went back to the Rikuzen-Takata city, the warm sun has begun to shine. Two were removed among three buildings which were the apartment houses for local government official worker in the Rikuzen-Takata city, and only this was left. Will this building become the earthquake disaster remain too?

陸前高田の町は、ほんとうに何もなくなってしまいました。
There became really no towns of the Rikuzen-Takata city.

その夜は、気仙沼の愛隣印刷所の阿部さん宅で、夕食に招かれました。
おいしいごちそうが並べられ、それを写真に撮るつもりでカメラを持って行ったのですが、先に箸が出てしまいました。
いつもいつも、ありがとうございます。
We were invited to dinner in the Abe’s family of Airin printing company of Kesennuma in the evening. Delicious feasts were arranged on a dining table. I intended to take it to a photograph, and I brought a camera with me, but I just have started my chopsticks earlier. We always thank you for the inviting dinner of Abe’s.

12月11日は、震災の月命日です。
ちょうど水曜日で気仙沼第一聖書バプテスト教会の祈祷会がありますが、その前に面瀬中グラウンドの仮設にいらっしゃる佐藤さんたちを訪ねました。佐藤さんは気仙沼港の近くで散髪屋さんをしていましたが、津波で店も家も失い、仮設に入っておられるのです。
おばあちゃんは今日は、ショートステイに行っていらっしゃるということでした。


いい話を聞きました。
災害公営住宅の抽選があり、当たったのだそうです。
おめでとうございます。
場所は・・・、後で紹介します、南気仙沼小学校の跡地。
10階建てと、6階建ての住宅が出来るのだそうです。
入居は、1年半後ということでした。
まだまだ時間がかかりますが、展望が開けて良かったですね。
December 11 is monthly anniversary of a death of the earthquake disaster victims. There was just a prayer meeting at a church on Wednesday on that day, but we invited family Sato that was in temporary housing of the campus of the Omose junior high school first. Mr. Sato did a haircut person near the port of Kesennuma, but he lost both the shop and the house by a tsunami, and he is living in the temporary housing now. He said his mother seemed to go to the “short-stay” today, that’s why she was not at house. We met her last time.
※The short-stay is a kind of the care service that can receive care or function training of the everyday life for a person requiring nursing enters facilities for a short time.
We heard good news from him. It was that he dealt with a lottery of the disaster public housing entering right. I said him, “congratulations!” The place is on the site of the Minami Kesennuma elementary school. The city builds two public housings of 10 stories and 6 stories for the victims. Family Sato will be able to move to the new apartment one and a half years later. Their moving takes time still more, but I think that it was good that their future prospects open out.

気仙沼第一聖書バプテスト教会の「祈りのセンター」で開かれた祈祷会。
12月11日は、あれから2年と9ヶ月の月命日です。
We attended the prayer meeting of Kesennuma First Bible Baptist church in the prayer center. It is two years and a nine month monthly anniversary of victims’ death from that on December 11.

いつものメンバーですが、初めての方もいらっしゃいました。
うしろの若い男性は、先月洗礼を受けられた佐藤さんです。
佐藤、って、どこにでもいますね・・・。
The participant was usual members, but there was a new comer too. The young man behind of the picture is Mr. Sato, who was baptized at this church last month. There is Sato including me anywhere, isn’t there?

祈祷会の後は、コンビニでサンドイッチを買い、車の中で食べながら南に向かいました。
これは、以前紹介したことのある本吉地区の気仙沼線の鉄橋の跡。
レールは外してありましたが、まだ、あのときのままです。
After the prayer meeting, we bought some sandwiches for lunch at the convenience store, and we drove to the south while eating them in the car. This is a trace of the iron bridge of the Motoyoshi district of the Kesennuma line which I introduced you before. The rail of the rail road was taken off, but still remains then.

さらに南に下り、南三陸町の歌津地区に来ました。
海岸のすぐそばを走っていた「歌津大橋」は津波で破壊され、今が撤去の最中でした。
We drove to the south more and more, and we got to the Utatsu district of Minami-sanriku town. Right by the shore “Utatsu Ohashi” was destroyed by a tsunami, and was removing it now.

以前見たことのある、傾いた土蔵がまだそのままになっていました。
土蔵の右側に橋脚の一部が見えます。
Dozo or old-fashioned Japanese store house which inclined which we had seen before was still in same condition. A part of the supporting beam is seen on the right side of the store house.

私たちは南三陸の志津川からさらに進んで、長清水(ながしず)地区の、阿部たみこさんを訪問しました。
この方は、NHK仙台放送局が放送している番組「てれまさむね」の中の、「あの時わたしは」というコーナーで紹介された方です。
ご夫婦でワカメなどの養殖をしておられましたが、津波で加工場と家を流され、たみこさんはそれ以来船に乗れなくなったそうです。
それで、自分に出来ることはないか・・・、と考えて、インターネットを利用して南三陸の海産物を紹介する通信販売を始められました。
「たみこの海パック」と言います。
アドレスは、ここです。
We drove a car more from the Shizugawa district of the Minami-sanriku town, and visited Ms. Tamiko Sakibe of the Nagashizu district. She was introduced by the corner “what was I doing at that time?” in the program of “Teremasamune” which NHK Sendai broadcasting station broadcasted. She did the cultured cultivation such as wakame or seaweeds with her husband, but their processing place or factory and house have been drained by a tsunami. Therafter she did not seem to be able to get into a fishing boat. So as a result of having thought whether she herself can do, she began the mail order of marine products of Minami-sanriku town using internet. It is called “the sea pack of Tamiko”.

たみこさんが、震災のときの様子を話してくださいました。
手に持っておられるのは、被災前の長清水地区です。
Tamiko San talked us about a state of the suffering including a tsunami. It is a photograph of the Nagashizu district before the disaster that she holds in a hand.

震災直後の長清水地区。
37戸あった家のうち、3戸しか残らなかったそうです。
そして、大部分は引き波で海に持って行かれたそうです・・・おそらく人も。
ご主人は地震の後急いで船を沖へ出し、助かったものの、海岸は漂流物でいっぱいになっていて近づけず、震災の翌日の夕方、ようやく上陸することが出来た。陸に上がって、故郷の惨状に愕然とした、ということでした。


次の数枚の写真は、たみこさんからいただいたものです。
In the Nagashizu district just after the tsunami only three houses seemed to be left among the houses which were thirty-seven. And most houses seemed to be taken by dilatational waves in the sea……、probably as for the persons too. After a great earthquake was generated, her husband started a ship quickly in offing, and he was saved. However, there were a lot of flotsam in the shore, and he does not bring it close, and he seemed to be able to finally go ashore in the evening of the next day if the earthquake disaster. He went landed and seemed to be amazed at the terrible sight of the hometown. I got several pieces of next photographs from Tamiko San.

最初の波で押し流され、他の家の上に乗っかった家。
引き波で何もかも海に流された人からは、
「あなたのところは家があるからいいねぇ。私のところは何にもない」
と言う言葉も聞かれたとか。
This is washed away in first wave and is a house on the other house. People washed all away by a dilatational wave said to Tamiko San in this way, “You are really lucky, because your house was saved, but my house, my all possessions, and everything were gone. I have nothing”.

山に行けば、わき水があるので、水には困らなかったそうですが、住民たちは着の身着のままで生きて行かなければなりませんでした。
Because there was a spring in the mountain, the villager did not seem to be troubled with drinking water, but they had to live without changing clothes.

自衛隊は、4日目になってようやく来てくれたそうです。
食べる物がないので、ヘドロとガレキの中を何か食べるられる物はないかと、探して回ったそうです。
It was fourth day from a tsunami, and the Self-Defense forces did it for the food relief assistance of the villagers. Because villagers do not have things to eat, they searched in sludge and debris something to eat during coming helpers.

長清水地区には、「ながしず荘」という民宿が一軒ありました。
それで地区の住民100人は、そこを避難所にしてもらったそうです。
食料が乏しいので、一日一食だけ。
写真のようにごはんとみそ汁だけの食事でした。
There was a Minsyuku or a guesthouse called “Nagashizu-So” in the district of Nagashizu. 100 villagers made life as an evacuee there. Because food was poor, they ate only rice and miso soup once a day like in the picture.
※Minsyuku is a private house which takes in paying guests.

夜はとても寒かったそうです。
It was extremely cold in the evening and at night, she said.

これは、被災前の長清水地区。
前の写真と比べてみてください。。
This is the district of Nagashizu before the disaster. Compare it with a photograph after the disaster.

たみこさんと、記念撮影。
We are taking a ceremonial photograph with Tamiko San.

南三陸町の防災対策庁舎。
ここでたくさんの人が亡くなりました。
ここからスピーカーで住民に避難を呼びかけ続けながら、自分が逃げ遅れて亡くなられた方もおられます。
南三陸町としては住民感情や維持費のこともあり、これを撤去することを決めたそうですが、最近、国と県から、経済的な支援を含めて「震災遺構」としてこれを残す話が出ています。
It is the disaster prevention measures local government building of the Minami-sanriku town here. The person failed to get out in time and died while continuing appealing to the inhabitants for refuge with speaker from here. There can be the things of inhabitants feeling and the maintenance cost and decided to remove this building. However, afterwards, there is a talk to leave this building for as “earthquake disaster remains” including economical support from a central government and Miyagi prefecture local government.

12月12日


まず、南気仙沼小学校の跡地に行ってみました。
震災後はガレキ置き場になっていましたが、いまはきれいに整地されています。
At first we went to the site of the Minami-Kesennuma Elementary School on December 12. It became the place for debris after the earthquake disaster here, but it was prepared the land for the construction of buildings neatly now.

そして、大型トラックが止まっていて、プレハブの事務所が出来ていました。
And it was built the construction office the prefab here, and several large trucks parked in front of it.

この、記念碑だけは残ることになるのでしょうか。
Only this monument will be left here. The gift of monument is PTA of Minami-Kesennuma Elementary School on the lucky day of March, in 1981 or Showa 56 years.

私たちの目の前で、一人の作業員が杭を一本打ちました。
いよいよ災害公営住宅の工事が始まるのでしょう。
復興に向けた、新しい一歩の始まりです。
One worker hit one stake to the earth in front of us. Because the construction of the disaster public housing finally begins, let’s do it. This is a beginning of the first step for the revival in earnest.

第2回目の仮設住宅訪問のため、気仙沼第一聖書バプテスト教会の祈りのセンターで準備をしているところです。
For the second temporary housing visit, we are making the preparations in the center of the prayer of Kesennuma First Bible Baptist Church.

水梨地区の仮設住宅を訪ねているとき、一風変わった・・・いろいろと工夫のしてあるお宅に目が止まりました。
竹で、受け樋まで作ってあります。樋の水は流れてタンクに入るようになっていました。
干し柿も見事。
When we visited temporary housing of the Mizunashi district, as for us, an eye remained in various ways. They made a pail with bamboos and the rainwater which collected to the pail drifted to the tank. The dried persimmons were wonderful too.

こんな張り紙もしてあります。
「みんなみんな 幸せになるために 生まれてきたんだよね」
「美しさを知る心美し 楽しく過ごす 心楽し」
どれも前向きな、すてきなことばです。
It is also put up such strips of paper. They are written like these words. “Everybody was born to find happiness”. “A heart to know the beauty is beautiful. We spend it happily. A heart is fun”. I thought of anything to be forward wonderful words.

すてきだね。
素晴らしいね。
と、話していたら、このお家の方が出て来てくださいました。
The person of this house came out when we talked while we watched them that it was wonderful and this was splendid.

無理にお願いして、私と記念撮影。
ありがとうございました。
I asked the person forcibly and took a ceremonial photograph together. Thank you very much.

クリスマスプレゼントを持ってお訪ねしたら、「上がれ、上がれ」と言われた方がおられ、上がり込んでしまいました。
この方は、気仙沼港近くでワカメの加工業をしておられました。
加工場も家も流され、ここにはいって会社を再建しようと努力されましたがなかなかうまく行かないでいる。
と話してくださいました。
おいしいお茶などいただきました。
When we visited one of the temporary housings with a Christmas present, a middle aged man came out and he said to us. “Come on in! Come on in!” And then we entered the house and talked with him. He was a manufacture of wakame seaweed near the Kesennuma fishing port. But the tsunami washed away his processing place and his house and everything. That’s why he is living here with his family. He told us that he made an effort in various ways to rebuild his company, but did not readily get along well. He served us delicious Japanese tea.

訪問もいよいよ終わりに近づきました。
Our temporary housing visit was finally coming to an end too.

そこで、もうひとりの方に「お茶っこ」を誘われました。
数ヶ月前まで、一関の「みなし仮設」に入っていたが、仕事は気仙沼で通勤に時間がかかり、大変なので、気仙沼市内の仮設住宅に入りたいと市役所にお願いし、ようやく希望が叶ったと。
ご自分で漬けられた白菜の漬け物が出されました。
それがまた、おいしかったこと。
全部、いただいてしまいました。
As for us, tea was invited to another person afterwards. She was living the temporary housing of Ichinoseki city until several months ago, but because it took too much community time to Kesennuma city of her work place. So she hoped for the temporary housing entering in the Kesennuma city. And Kesennuma city hall finally granted his hope. She served the pickle of his homemade Chinese cabbage to us. It was very delicious, and I had eaten all of them.

気仙沼港近くの仮設商店街に、こんなクリスマスツリーがありました。
There is such a Christmas tree at the temporary construction mall near the Kesennuma port.

気仙沼港近くの高台から眺める、港の夜景です。
いろいろなイルミネーションが飾られていました。
This is a night view of the Kesennuma fishing port to look at from the hill near the port. Various illuminations were given glory to.

12月13日

朝は、雪でした。
ホテルの窓から撮った写真です。
On December 13, it was snow in the morning. I took a picture from the window of the hotel.

帰り道は雪が降っていて、一部凍結しているところもありました。
南から来た人間には珍しい光景です。
きれいだなぁと思いました。
It was snowing and some roads froze up on the way. It was a rare scene for us came from the southern part of Japan. I thought it was very beautiful.

途中で車が一台、道路からはみ出していました。
どうやら大きな事故にはならなかったようで、よかったです。
一関まで、安全運転で帰り、新幹線、飛行機と乗り継いで無事家に帰り着きました。
We found that one car protruded from a road on the way to Ichinoseki, but it did not seem to become the big accident somehow. We went by careful driving to the Ichinoseki city of Iwate prefecture, and we returned our rent-a-car. And then we went home safely by train and by airplane.

みなさまのお祈りとご支援を心から感謝します。
Thank you very much for your praying and support heartily.


震災救援コーディネーター 佐藤省三
Written by JMF disaster relief assistance coordinator: Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami〔Translated by Takanori Sasaki of JMF chair〕

2013年夏、被災地訪問
Summer in 2013, Visiting the affected areas

大震災から2年と5ヶ月、JMFの派遣で、私たちは夫婦で被災地を訪問しました。
今回は、奉仕している教会から休みを頂くことができたので、宮崎から車で東北まで出かけました。

I visited the affected area of Tohoku district by sending of Japan Mennonite Fellowship (JMF) from the great earthquake disaster for two years and five months with my wife. Because I got a vacation from my church that I serve as a pastor this time, we went by the car from Miyazaki of Kyushu in the southern Japan to Tohoku district.


8月8日にいわき市に着き、9日に福島第一聖書バプテスト教会を訪問しました。
福島第一教会はこの5月に新会堂を献堂されたのです。
会堂は翼を広げた形をしていて、ふるさとの大熊町の方を向いているのだそうです。

We arrived at the Iwaki city on August 8, and then we visited the Fukushima First Bible Baptist Church on August 9. In this church, a new assembly hall was dedicated in this May. This assembly hall has the form that widened a wing. The wing is designed to turns the direction of the Okuma town of their hometown. The town is polluted by a radiation now, and nobody can enter it. The church members and the pastor’s family, they evacuated from their hometown, and they live the new place now.

玄関は裏側にあり、駐車場がついていますが、これでは足りないので、歩いて3分のところに別の広い駐車場が用意してあります。
5月の献堂式には、この会堂に400人の人が入られたそうです。

The entrance hall is back of the building, and they have a parking lot before the building and they also have a big parking lot in another place distance from three minutes’ walk. In the dedication of May, four hundred people seemed to be able to enter this assembly hall.

会堂の入り口に礎石がはめこまれていました。
「東日本大震災によって生まれた つばさの教会」
と書いてあります。

The cornerstone is fitted under the door of this building. It is written as “the church of wings created by East Japan Great Earthquake Disaster “ on the cornerstone.

福島第一教会の牧師、佐藤彰先生の奥様は宮崎の高城出身で以前からの知り合いです。
お忙しい中、新会堂の案内をしてくださいました。
これはキッチンです。
大熊町の会堂にもりっぱなキッチンがあるそうですが、放射線の心配があるので、新しく買われたそうです。

A wife of Akira Sato of this church as a pastor is from the Takajo town of Miyazaki prefecture, and we are acquaintances of her for a long time. She guided us in a new building while she was busy. This is a kitchen. There was an excellent kitchen in their church of the Okuma town, but they bought a new one because of worrying of the radiation pollution.

これは礼拝堂正面にある洗礼槽です。
左側のガラスの部分から洗礼の様子を見ることが出来ます。
そして、洗礼を授ける牧師は、濡れなくても洗礼が出来るようになっているそうです。
そしてこれは、アメリカの教会からのプレゼントだそうです。

This is a baptism tank in the chapel front. We can look at the baptismal state from a part of the left glass. And the clergyman to grant baptism to have baptism without getting a body wet. The baptism tank is a present from an American church.

2階にある仮納骨堂。
すでにこの会堂で、3度の、葬儀及び納骨式が行われたそうです。
震災の厳しさを物語っているようでした。

A temporal charnel house is on the second floor. They already held three times funnel services and the cinerarium services in this chapel. The victims of the great earthquake disaster are included too.

礼拝堂の前で、事務の方に写真を撮っていただきました。

 

そのあと、佐藤彰先生が来られ、礼拝堂の中で写真を撮っていただきました。

We took a picture with Pastor Akira Sato (right side) in the chapel.

私たちは、8月10日土曜日に気仙沼に入り、いままでJMFのボランティア活動のため大変お世話になった中田さんのお宅を訪ねました。
この写真は2011年夏のもので、当時この家は、いろいろな事情で空き家になっていて、ここに何度も泊めていただいたのです。

We arrived in the city of Kesennuma on August 10, and we visited the house of Ms. Nakata, who took care of us during our volunteer activities of JMF. We took this photograph in summer 2011. Nobody lives in her house in those days, so we used it several times as a lodging.

中田さんは私たちを待っていてくださって、久しぶりの懐かしいお宅に入りました。
玄関にも、部屋にもたくさんの花が飾ってあり、さすが女性のおうちだな・・・、と。

We visited the house of Ms. Nakata since last summer. Many flowers were displayed in the entrance and her rooms. I thought that ……,as is expected, it was the house of woman.

テーブルにもきれいな花が生けてありました。

There were beautiful flowers on the table too.

中田さんの家には庭があります。
そこに、季節により、いろいろな花が咲き、ボランティアで訪れた私たちを慰めてくれました。
私もここで花の写真をたくさん撮りました。
いまは夏で、花はそれほどたくさんはありませんでしたが、「シオン」の花が咲いていました。

There was a garden bloomed in her house various flowers bloomed in the garden by a season and cheered up us who visited here by a volunteer. I took a lot of pictures of flowers here too. Because of summer now, there were not many flowers in her garden, but flowers of “Sion” bloomed.

やまゆりもきれいに咲いていました。

The flowers of the lily bloomed neatly, too.

2013年8月11日・・・被災地では2年と5ヶ月の「月命日」という言い方をします。
11日の日曜日に気仙沼第一聖書バプテスト教会の礼拝に出席しました。
次の写真は、2011年4月のものですが、津波に流された気仙沼第一教会の会堂と牧師館の跡です。

Today is on August 11th in 2013……they called this day after two years and five months “month anniversary of the victims” at stricken area. We attended the worship of the Kesennuma First Bible Baptist Church on the Sunday of the eleventh. We took the next picture in April, 2011. These are the traces of the chapel and a pastor’s house drained by tsunami.

教会ではいま、新しい会堂を建てる計画が進んでいて、絵に描いてあるような建物の設計が出来上がるのだそうです。

A plan to build a new chapel advances now at the church, and seems to be able to design the building which there is picturing in this picture. It is written as “now let’s build the shrine of the Lord” in this picture.

礼拝堂、牧師館、地域交流センター、老人介護棟まで立ててしまおう、というような計画だそうです。
来年の秋には完成するそうで、楽しみです。

A chapel, a parsonage, a community center and a nursing care ridge for elderly seem to be included in this church. The blueprint displayed. This magnificent building seems to be completed in next autumn. I look forward it.

礼拝の時、柏村さんのお母さんと娘さんがふたりで奏楽をしてくれました。
将来が楽しみです。

Ms. Kahiwamura and her daughter played the piano together in the worship. I put my hope on her daughter on her activity at the church.

礼拝が終わり、お茶の時間です。

The worship is over, and we had a tea time.

そこで出会った尾形さんという方。そして嶺岸先生と私です。
尾形さんは津波で家を流され、その後聖書を読み始め、教会に来て、2012年10月にご夫婦で洗礼を受けられたそうです。
お仕事は木工関係だそうですが、音楽が好きで、手作りのパーカッションで讃美歌を歌う時、花を添えてくださいました。

The left is pastor Minegishi, the middle is Mr. Ogata, and the right is me in the photograph. Mr. Ogata’s house was strolled around by a tsunami and he began to read the Bible afterwards and came to the church. He was baptized with his wife in October, 2012. His job was a kind of wood work, and he was also like music very much. When we sang a hymn, he played it with his handmade percussion.

しばらくすると簡単な食事が出ました。
毎週礼拝の後は、食事が用意されているそうで、すごいなぁ、と思いました。
前の週はまとまったお客さんがあって、礼拝出席者は45名だったそうです。
震災の後、礼拝出席者はだいぶ増えたそうです。

A simple meal was served in a minute. When I heard they prepared for a meal after Sunday service every week, I thought it was great. They had 45 people attending the worship last week. They said the worship attendants gradually increase after an earthquake disaster.

次の写真は、2011年4月に私たちが車で気仙沼に来たとき、ボランティアで知り合った気仙沼在住の友人、吉田さんです。
それ以来交流が続いていて、宮崎南教会で被災者支援バザーを開いたとき、現地の物産品をまとめて送ってくださったこともあります。
駅前で待ち合わせをして、女同士、ふたりで何か食べに行きました。

The next photograph is our friend Ms. Yoshida of Kesennuma city. We got to know her by our volunteer activity in April, 2011. We are having continued interchange with her since then. She also sent a lot of special products from Kesennuma for our victim support bazar in our Miyazaki Minami Church. My wife met Ms. Yoshida in front of the Kesennuma railroad station, and they went to the restaurant to eat something.

もうひとり、現地で知り合った友人がいます。
この写真は気仙沼市面瀬中学校の校庭にある仮設住宅です。
そこに、佐藤さんという方がいて、支援物資を配った時、「あがれ」「あがれ」、「お茶っこしよう」と言われて上がり込み、いろいろな話をお聞きしたのが始まりでした。
それ以来、手紙のやり取り等をしています。

We have one more friend who go to know in Kesennuma, too. This photograph is temporary housing place in school ground of Omose Junior High School in Kesennuma city. When we went around temporary housing while we distribute the relief supplies, we got to know Mr. Sato. When we visited his small temporary housing unit, he invited us to his house, saying “Come on in. Come on in.” and “Let’s have a tea with us.” And when we entered his house, he told us about some stories of his family during the disaster. Thereafter we continue exchange letters with him.

ご了解を頂いて写真を撮らせていただきましたが、これが仮設住宅の中です。
佐藤さんは気仙沼港近くにおられた散髪屋さんでしたが、津波でお店と家を流されました。
佐藤さん夫妻と92才になるお母さんと3人いっしょです。
幸い、お母さんはとても元気で、毎日お散歩に行っておられるそうです。
佐藤さんところをお訪ねするのは4回目ですが、お母さんとは初めてお会いしました。
佐藤さんは近所の人から散髪を頼まれると、この家の中で・・・お風呂場?・・・やっているそうです。

We got the permission from Mr. Sato and took a photograph in his room. He ran barbers’ near the Kesennuma sea port once, but has been drained into both his shop and house by that tsunami. After the disaster, he moved here, and lives with his wife and his 92-year-old mother now. In a happy thing, his mother is very well and she strolls in the outside every day. When Mr. Sato is asked for a haircut from neighboring people, he seems to do the haircut of the customers in his room or bathroom.

これは、もと気仙沼第一教会のあったところです。
近いうちにこの基礎の部分を撤去し、気仙沼市に買い上げてもらうことになっているそうです。
このあたりは被災地域で、住居を建てることが出来ないよう、市から指定されているのだそうです。

There was the Kesennuma First Church here before. They must remove these basics parts soon. Then city authorities seem to become going to purchase this land. The neighborhood is because it is forbidden building a house designated for a disaster area.

気仙沼の、大震災のシンボルのような第18共栄丸です。
いまでもたくさんの方が来られて、花を供え、犠牲者のために祈りをささげておられます。
しかし、気仙沼市の市民アンケートでは、70パーセントの人が撤去してほしい、ということだったそうです。
それで、持ち主も解体に踏み切ったそうで、間もなく工事が始まるということでした。

This ship is called “Dai 18 Kyoei-Maru” of the symbol of the great earthquake disaster in Kesennuma. Many people came here and offer flowers and gave prayer for victims still now. However, according to the civic questionnaire, the people of 70% of Kesennuma citizens expect the removal of this ship.

船の下には、今も逆さになった車が残っています。
無惨な姿です。

The car which became upside down is still left under this ship. The car is a too horrible figure.

さてここは、気仙沼第一教会が新しく買い求めた土地です。
760坪あるそうです。
もとの教会の土地にあった「祈りのセンター」がこちらに引っ越ししていました。

By the way, here is the land which Kesennuma First Church bought newly. The area is approximately 2,500 ㎡. “The center of the prayer” that was on the land of the former church moved in here.

国道45号線(東浜街道)沿いの便利のいい場所にあります。

This land is along the national road route No. 45 calling “Higashi-Hama Kaido, and it is a very convenience place, too.

そこで草刈の準備をしているとき、ひとりのボランティアと会いました。
埼玉県で刑事をしているという、高橋さんというクリスチャンの青年です。
刑事ですから事件の捜査をするわけですが、祈りながら仕事をしている、ということでした。
容疑者の取り調べを進めていくうちに、心が通じて・・・か、「私がやりました」と、いうときがある。
そんなとき、神様が心を開いてくださったのだ、と感じるそうです。
わたしは初めて聞く話でしたが、なるほど、いろいろなところに神様は人を用意しておられるのだ、と思いました。

I met the volunteer worker while preparing the mowing there. He is Mr. Takahashi of a Christian youth from Saitama prefecture. He is the second person from the left in the photograph. And he is a detective police and he also makes investigation the various cases. He said he works praying to God. While he pushed forward the investigation of the suspect, a heart came to keep him with a suspect, and the criminal seemed to have possibilities to accept his crime when “I did it”. He seemed to feel that God opened the heart of the suspect in such case. It was the story that I heard the first time, but I thought that God used the person in various ways at the place where God varied.

さて、草刈です。
草の伸びているところと、会堂の予定地として、綱の張ってあるところを刈らせていただきました。
とても暑い日でしたが、時々雲が広がったりして、なんとか片付けることが出来ました。

Now, it was mowing. I did the mowing of the place where the grass was growing, and did also mowing of the place where a rope was put as the church building construction planned site. It was very hot day, but clouds sometimes covered the sunshine in the sky, and I was able to clear up my work somehow.

嶺岸先生が、途中でふたりでの写真を撮ってくださいました。

Pastor Minegishi took a picture both of us mowing grasses.

その夜は、また、愛隣印刷所の阿部さんのお宅に夕食に招かれました。
おいしくて、喜んで食べましたので、お料理の写真を撮り忘れてしまいました。
それでデザートのメロンをいただいたあとで、パチリ。

写真右から2番目の柏村さんのお話です。
「気仙沼ではいま、次々に学校が合併しています。
私の出た小学校も、中学校も、高校も、合併でなくなりました。とても寂しいです。」
実際に住民票を移した方、住民票は残したまま他の町に住んでいる方を合わせると、一割以上になるのではないか・・・、というお話でした。
また、人口の減少という被災地の厳しい状況を知らされました。

In the evening, we were invited the dinner at Mr. Abe’s house of the Airin printing company again. I forgot taking pictures of cooking because it was very delicious and enjoying for me to eat food. But I took the picture of melons for dessert after eating them.

Mr. Kashiwamura (the second person from left side in the picture) talked us about the circumstance of people in Kesennuma. “The schools merged in sequence since then in Kesennuma. The elementary school, the junior high school, and high school which I graduated from closed for a merger. It was very lonely and too bad for me”. It seemed to move to other towns with people more than 10 % of the population of Kesennuma really moved the resident’s card or leaving a resident’s card. In addition, I was informed of the severe present condition of the affected area said to be a decrease in population.

気仙沼訪問の後、岩手県沿岸の被災地を訪ねました。
まず、陸前高田市です。
そしてこれは、「奇蹟の一本松」です。
駐車場が整備され、そこから歩いて片道20分くらいのところ・・・けっこう遠い・・・に松があります。

At first, we visited the Rikuzen-Takata city. And this is “the Lone Miracle Pine tree”. Because the parking lot was maintained, we were able to park a car in the neighborhood. When we went on foot from there for approximately 20 minutes, has been that pine tree. It was quite far when we walked.

わずかに一本だけ残った「ど根性松」は、地盤沈下の影響で海水で根がやられ、枯れてしまいました。
それで、その松を切り、芯を入れ、作り直してあるのです。

The root of the tree was damaged in seawater under the influence of subsidence, and “the guts pine tree” which only one of them was left after the earthquake disaster has died. So they cut the pine tree and put a core and remade it. It is written that explanation is in Japanese and English.

何カ所か傷がついていますが、きれいに防腐加工がしてあります。

This remade pine is damaged with several places, but it is done an antiseptic finish neatly.

夜はしばらくの間、ライトアップしてあるそうです。

This tree seems to be lighted up for a while in the evening.

陸前高田には、JMFの皆さんがとてもお世話になった平坂さんがおられます。
私たちは突然の訪問でしたが、快く迎えてくださり、お茶までごちそうになりました。
山口の兄弟団(けいていだん)から、佐古さんという方が岩手に来て被災者支援をしていますが、佐古さんがお世話になっているのも平坂さんなのです。
家の中にはここでお世話になった人たちからの、たくさんの感謝状や手紙が張ってありました。
手入れの行き届いたきれいな庭には、池もあり、大きな錦鯉が泳いでいました。

Mr. and Mrs. Hirata live in Rikuzen Takata city that has been so good to our JMF volunteers. In spite of our sudden visit, they met us willingly and gave tea to us. They are very kind to volunteer workers. They are also helping a volunteer worker Brother Sako from the Brethren in Christ (BIC) of Yamaguchi prefecture. Many letters of thanks and letters from people who were taken care put on the walls of house. There was a small pond in the well-kept beautiful garden and some big colored carps swam in it.

陸前高田市の、元、中心市街地です。
ほとんどの建物が取り壊されて、青草が茂っています。
誰もいないので、電柱もありません。

It is the central city area before the earthquake disaster of Rikuzen Takata city here. Most buildings and houses are removed here, and only green grasses grow thick now. Because there is no house, there is not even the utility pole.

これは、2011年6月の、釜石の写真です。

This is a photograph of Kamaishi city in June, 2011.

同じ場所はいま、こんなふうになっていました。
青草が茂っているだけです。

The same place becomes like this now. Green grasses only grow thick

大槌町では、もと大槌小学校だったところが、町役場になっています。
その向かって左側に、震災時の火災で枯れた木が、まだ立っていました。

In the Oduchi town, former Oduchi Elementary School has replaced the town office. On the left side, the tree which died by the fire at the time of the earthquake disaster still stood.

ところが、前回来た時、枯れてしまった、とお伝えしたいちょうの木が・・・、なんと・・・生きていたのです。
これには、びっくりしました。
うれしくなってしまいました。

However, when we came here last time, I informed you about the tree of ginkgo which had died, but how splendid the tree lived! This was surprised to me. And I became glad.

私は今まで、皮を剥がれた樹木は枯れる、と考えていました。そういうふうに教えられていたのです。
実際、杉とかヒノキは皮を剥ぐとすぐ枯れてしまいます。
ところが、いちょうは、樹皮が焼け死んでも、死なないのでしょうか。
それとも、この木は特別なのでしょうか・・・。
木の幹は完全に焼けただれているのに・・・。

しかし、感動です。
震災からよみがえる、復興のシンボルのように見えます。

I thought that the tree died when the peel of a tree came off so far. I was taught like that. Actually, a cedar or the Japanese cypress dies as soon as they peel the bark from trees. By the way, even the bark is burnt to death, and does the ginkgo not die either? Or is this tree special? The tree trunk is completely burnt and festers …. However, it is an impression. I look like a symbol of the revival that it revives from a tsunami disaster to me.

大槌町の、城山公園から町を見たところです。
被災した建物が撤去され、緑が覆ってきました。
震災の傷が少しずつ癒されているようにも感じます。

This is the scenery which we watched from the Shiroyama Park of Oduchi town. Buildings and the houses where suffered from are removed, and we can see that green overturns there. I feel that the wound of the tsunami disaster is healed little by little. Chinese bellflowers bloomed in the Shiroyama Park.

城山公園にききょうの花が咲いていました。

大槌町役場は、震災遺構として存続が決まったそうです。
以前にはなかった祭壇らしきものが用意されてありました。

The Oduchi town office seemed to be decided to undergo the continuation as tsunami disaster remains. The altar was not there before, but it is prepared now.

これは、山田町の沿岸の風景です。
いろとりどりのイカダが海を彩っています。
漁業はだいぶ復旧しているのでしょうか。

This is scenery of the shores of Yamada town. A lot of colorful rafts for oyster culture color the sea. The fishery of this place will restore considerably

新しい建物の壁に、「がんばろう! 山田町」という文字が見えました。

We can see the letters of “Let’s do our best in Yamada town!” on the wall of the new building.

次は田老の様子です。
日本一と言われるほどの高い防潮堤を超えて、津波は町へ流れ込み、たくさんの建物が壊れ、多くの死者が出ました。
今は被災した建物が撤去され、草が茂っています。

The next is a state of the Tarou town. Across the high seawalls (altitude of ten meters) so that it was said Japan’s most, the tsunami flowed into the town. And many houses were broken, and many dead people appeared. All the buildings and houses where suffered from are removed, and grasses grow thick now. Here was the center of the Tarou town, too.

ここも、田老町の中心でした。

私たちは、東北訪問の後、神学校時代の同窓生を訪問するため、青森に寄り、ついで佐渡に渡りました。

その帰りに広島に寄りました。
そこで、いっしょにボランティアにも行っていただいた石谷牧師に、原爆について教えていただきました。
福島の原発の問題は、いまだに続いている「ヒロシマ」の問題なのだと語ってくださいました。

We went to Aomori after disaster areas to visit the alumnus of the seminary or theological school, and followed by crossed it in Sado. We stopped at way home Hiroshima. We met pastor Ishiya which went Tohoku by a volunteer with us there. And we were taught it by him about atom radiation exposure of Hiroshima. He told that a problem of the nuclear power generation was a problem of “Hiroshima” that still spread out. Here is the center of an explosion of an atom bomb.

ここが、爆心地です。

暑い日でしたが、原爆ドームは、この日もたくさんの人が訪れていました。

It was a hot day, but many people visited the A-Bomb Dome on that day.

平和記念公園です。
原爆資料館から、原爆ドームは一直線に配置されています。
わたしたちもそこで平和を願い、核廃絶を祈りました。

This is the Hiroshima Peace Memorial Park. The A-Bomb Dome is located straight by the Hiroshima Peace Memorial Museum. We also prayed for peace there, and prayed for nuclear disarmament.

ここを作られた方々と同じ気持ちになり、
「平和を作り出すもの」となりたいと思います。

It becomes the feeling same as various places prepared here into, and I want to become “a person creating peace”. The cenotaph carries the epitaph which means “please rest in peace, for we shall not repeat the error”. ※The saddle-shaped monument that covers a cenotaph holding the names of all of the people killed by the A-bomb.

少し長い旅でしたが、皆様のお祈りに支えられ、8月22日に無事帰り着きました。
ありがとうございました。

It was a slightly long trip, but of all of you was supported to praying, and we got home safely on August 22. Thank you very much for your assistance and prayer

震災救援コーディネーター 佐藤省三

Written by JMF disaster relief assistance coordinator:
Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami Church
〔Translated by Takanori Sasaki of JMF chair〕

あれから2年(宮崎南教会員 上門豊明)
“Two years since then”

2013年3月9日から、東北に行ってきました。


2011年8月、北海道、東京、山口、大分、宮崎から14名が集まり、ボランティアをしました。
その1つ、気仙沼市三ノ浜地区での網ほぐし。
数十メートルものの漁網をほどくのは大変でした。

I went to Tohoku from March 9. About 14 volunteers gathered from Hokkaido, Tokyo, Yamaguchi, Ooita and Miyazaki on August, 2011. One of them was loosening the fishing nets in Sannohama, Kesennuma. It was very hard work to lose the fishing nets about more than ten meters.

これは2013年3月の写真です。
近くにあった理容室跡や大きな家などは全て撤去されて、木材置き場になっていました。

This is picture of March, 2013. Such as a big house and traces of beauty parlor were near to all been removed, and there was supposed to timber yard.

写真は、2011年7月、ボランティアで行った大浦地区の水田の様子です。
流れ着いた小屋を解体したり、板などを片付けたりしました。

The photograph is a state of the rice field of the Oura district that I went as a volunteer in July, 2011. We volunteers dismantled the hut or shed where it drifted to and put the boards in order.

ことし3月の様子です。
持ち主の方とお話出来ましたが、去年は田植えをして例年と変わらない収穫があったと、喜んでおられました。

This rice field is a state of March of this year. I fortunately talk with the owner of the rice field. He said that he could plant rice after tsunami disaster in the spring of 2012 and there were a good harvest like an average year, and he was pleased.

 

造船所前の道路にあったSOSのサインが、現在も残ったままです。

The letters for the help of SOS written the road in front of a shipyard were still left.

こちらは、気仙沼市八日市にある佐々木陶器店のご主人と奥様です。
2011年、清掃ボランティアでお訪ねして以来、たびたびご挨拶に伺っています。
最近、数年ぶりに荒波のふすま絵を室内に置いた、ということで…私も拝見させて頂きました。
震災当時を思い出すのでなかなか置けなかったそうですが・・・。
ようやく、日常の感覚が戻ってきたのでしょうね。。

This is a married couple of the Sasaki ceramic shop in Youkaichi, Kesennuma. As for me, I often visited here since I served it as a cleaning volunteer of the shops in 2011. They seemed to be able to display the sliding paper-door of “angry waves” in the room again after interval several years………I was able to watch it, too. When they looked at the sliding paper-door of “angry waves, they did not seem to be able to put it so far because they remembers tsunami disaster those days………I think an everyday sense would finally return in them, wouldn’t it.

佐々木陶器店の外の様子です。
このお店自体が明治からの古い建物でして、市の保存対象に指定されています。
津波はこのあたりで1.5メートルあったそうです。
隣の家は無くなり、駐車場になっていました。

This is a state outside the Sasaki ceramic shop. This shop is an old building from the Meiji era, and it is targeted for the preservation of city authorities, and this is appointed. There seemed to be 1.5 meters high tsunami in this neighborhood. That’s why the neighboring house was removed and became the parking lot now.

これはニュースにもなりました、岩井崎の「竜」と言われた松の木です。

This is a pine tree said to be “a dragon” of Iwaimisaki or Iwai cape which became famous for the news.

写真にあるのは、気仙沼出身の横綱、秀の山雷五郎(1845年から5年間在位)像です。
津波にも耐えた、ということで注目されています。
気仙沼沖の向こうは。唐桑半島の先端部分です。

This photograph is a bronze statue of Hidenoyama Raigoro come from Kesennuma. He was a yokozuna or a grand champion of the sumo wrestling from 1847 through 1850. This bronze statue attracts attention enduring a tsunami. It is a bit of the Karakuwa peninsula to be seen on the other side of the Kesennuma offing.

 

岩井崎の近くにある民宿は、2年経ってもそのままでした。

Even if two years passed in the building of the Minsyuku the private home providing meals and lodging in near the Iwai cape. It was still suffering from it.

気仙沼市安波山から、市内を撮りました。漁港には船がたくさんつないであり、少しずつにぎわいが戻ってきているようです。
向こうに見える山は、大島にある亀山です。

I took the photograph in the city from Mt. Anbasan in Kesennuma city. Many ships connect to the fishing port, and turnout of the sea shore seems to return there little by little. The mountain to see over there is Kameyama of Oshima.

2013年3月10日、気仙沼第一聖書バプテスト教会の礼拝の様子です。
出席者は40名を超え、本郷チャペルは満員でした。

This is a state of the worship of the Kesennuma First Bible Baptist church of March 10, 2013.
The attendant surpassed 40 people, and Hongo chapel was full.

あの日から2年を迎えるということもあり、皆さんで心からのお祈りを捧げました。

All of us gave for victims praying from a heart from that earthquake disaster in third year.

 

シンガポールからの特別ゲストも来ていました。

The people of the special guests from Singapore attended too.

3月10日の礼拝が終わってから、南に下りました。
これは、南三陸町の志津川地区です。。

After church worship of March 10, I went to south. This is Sizugawa district of Minami Sanriku town.

防災庁舎前では、県内外からたくさんの人が来られ、祈りを捧げておられました。
この建物は震災遺構として残す方向で検討されている模様です。

Many people from inner or outside of this prefecture gave prayer in front of the former city disaster prevention measure building. This building from suffering is considered in a direction to preserve as the tsunami disaster remains structure.

南三陸漁港の側にあるカラフルな漁業倉庫です。
冬から春にかけてわかめ等が取れるんだそうです。

This is certain colorful fishery warehouses near port of Minami Sanriku. The seaweed such as wakame is produced in this sea from the winter through to the autumn.

これはJR気仙沼線清水浜駅跡です。標高10メートルのこの高さまで津波は押し寄せました。

This is the former site of Shimizuhama rail road station of the JR Kesennuma line. Ths tsunami washed it away to an altitude of 10meters.

レールや鉄橋を押し流すんですから、津波の恐ろしさを感じました。

Because it washed rails and an iron bridge away, I felt the terror of the tsunami.

田束山案内の下にきれいな飾り付けがありました。
国道45号線沿いにあります。

There was the beautiful decoration with guidance of Mt. Tetsuganesan. It was written “to everybody in the world, thanks a lot.” National highway No.45 is along it here.

現在も国道45号線、志津川付近海岸沿いバイパスルートは通行止めになっています。
橋が落下したままですし、今も工事が続いておりますが…復旧にはまだまだ時間がかかるそうです。

The bypass route along the neighborhood of Shizugawa shore of National highway No.45 becomes put under ban of traffic now. Construction continues now, but restoration seems to take time still more with a bridge dropping.

石巻市を訪ねました。


下の写真は2012年に石巻市から女川町へ行く途中に見つけたものです。 この家に描かれている絵を見たとき、少し心が和んだ…思わず撮影してしまいました。 このあたりも津波が押し寄せ、道路の舗装がはがれて砂利が撒かれていました。

I visited the Ishinomaki city. I took the below photograph on the way to the Onagawa town from Ishinomaki city in 2012. I watched a picture on the letter of “Are you all right?” drawn on the wall of this house. ……… And as for me, some hearts softened……and I have taken it to a photograph unintentionally. A tsunami surged against this neighborhood, and the pavement of the road came off and the people spread gravels in the road and seemed to repair it.

石ノ森美術館の南にある、被災した自由の女神像です。

This is the Statue of Liberty which it suffered from disaster in the south side of the Ishinomori Museum.

石ノ森美術館の南側にバラが植えられていました。

A lot of roses were planted there, and the signboard says “the rose of band”.

石ノ森美術館は2012年11月17日にリニューアルオープンしました。
私が行った時は一時休館中で、数人の職員が作品を運び込んでいました。
3月23日に再びオープンしたそうです。

This museum was reopened on November 17, 2012. When I visited there, several staffs carried some works by the closure at one time. It seemed to open again on March 23.

日和山より石ノ森美術館方面を撮影しました。

I photographed over the Ishinomori Museum from Mt. Hiyoriyama.

日和山より太平洋を望みます。

The Pacific Ocean of the view is from Mt. Hiyoriyama.

手すりには被災前の写真も一緒に展示されていました。
とても大きな街だったことが分かります。

The photograph of the whole town of the Shizugawa district before the suffering was displayed on the handrail of protective fence. I understand that it was every big town when I watched it.

宮崎南教会員 上門豊明

A JMF volunteer Toyoaki Uwakado: a member of Miyazaki Minami Church
〔Translated by Tkanori Sasaki of JMF chair〕

あれから2年、被災地訪問
“Two years since then, we visited the affected areas of Tohoku”

あの大震災からちょうど2年の3月11日、東北に出かけました。
まず、仙台の日本キリスト教団青葉荘教会で開かれた、東日本大震災追悼記念礼拝に出席しました。
宮崎を朝7時35分の飛行機で出発、羽田経由、東京駅から東北新幹線に乗り、午後2時からの記念礼拝に無事出席することが出来ました。

We went to Tohoku on March 11, just two years from that great disaster. We attended the East Japan Great Disaster Memorial worship was held in Aobasou church of the United Church of Christ in Japan in Sendai first.
We departed by 7:35 plane Miyazaki of Kyushu in the morning of the day. And by way of the Tokyo Haneda Airport, we took the Tohoku Shinkansen train from Tokyo station to Sendai. We were able to successfully attend the commemoration of worship at 2:00 pm.

250人もの被災者や関係者が集いました。
挨拶をしているのは、今回の震災で大きな働きをしたサマリタンパースの、代表マイカ・ローレンスさん。

Officials, 250 affected people and their involved persons were gathered in this worship. This is Mr. Micah Lawrence, a representative of Samaritan’s Purse in Sendai, which group was a big relief assistance activity in the great earthquake disaster this time.

続いて東北中央教会の永井信義牧師のメッセージがありました。
教会の名前がすごいので、どこだろうかと思って調べましたら、仙台の郊外の、かなりいなかのほうでした。
「考え直そう、ニッポン」
という訴えでした。

There was a message from the pastor Nobuyoshi Nagai of Tohoku Chuoh church or Tohoku Central church. Because his church’s name looked like very big, I looked I would wonder where the church was. Then it was in the country far away on the outskirts of Sendai city.
He had appealed to the audience on the theme of “Let’s re think, Nippon”.

その次に登場したのが、なんと、森裕理さんです。
ご自身が阪神大震災で弟さんを亡くしておられ、今回の震災でもすでに70回ほど被災地に行かれたとか。
すごいなぁ、と思いました。
歌は、本当に心にしみて、涙が出てしまいました。

Appeared in the next was Ms. Yuri Mori. I was surprised because I did not even expect. She is a Christian singer, and she has the testimony of Christ through her songs in various locations. She herself also has been lost her brother in the Hanshin Great Earthquake in 1995. And she begun to hold a concert for a victim in strong thought, “she wanted to change disappointment to the hope”. She came to give a concert afterwards at a church, a welfare institution, and a prison. She seemed to already go to approximately 70 times of affected areas by this East Japan great earthquake disaster. I thought for her activity that it was great. As for me, her song really soaked into my heart and has cried.

森さんは、歌の途中で客席までおりてこられ、端っこに座っている人の肩に優しく手を触れながら、歌われるのです。
私も中央よりの座席の端に座っていましたので、右の肩に手を置いていただきました。
(とてもうれしかったです。)

Mori San dropped in the middle a song to the seat and was sung while touching the shoulder of the person who sat in the corner kindly. Because I sat in the edge of seat close to the concert, she put a hand on my right shoulder too. I was very glad.

その日は、3、11ということで、気仙沼第一聖書バプテスト教会で夜、命日祈祷会をいたしました。
毎月11日には、命日祈祷会というのを続けておられるのです。
この日は仙台から帰って遅くなったので、終わったら9時半を過ぎていてお風呂に間に合わず、そのまま休みました。

翌12日は、岩手県沿岸を北上、まず大槌町に行きました。
だいぶ瓦礫は片付いていましたが、1年前とほとんど同じガラーンとした空間が広がっていました。

We went by car after worship to the Kesennuma First Bible Baptist church and we participated in a prayer meeting on a 3.11 anniversary of victims’ death. They continue a prayer meeting every month at this church on an anniversary of death on 11th.
On 12th, the following day, we go north by car at the Iwate prefecture Pacific coast, and at first we went to the Oduchi town. Although it was cleared up considerably, as for the debris, vacant land only still spread out as well as one year ago.

道路を走っていると、きれいなビルが目に入りました。

When we ran on the road by car, a clean building stood out.

近づくと、それは大槌小学校でした。
震災で起きた火災で、壁は焼けこげていましたが、真っ白になっています。
どうしたのかな・・・と近づくと・・・。

When we approached and looked, it was former Oduchi Elementary school’s building. In the building, the walls should have burnt by the fire that happened by an earthquake disaster, but the building was pure white now, and paint was painted with.

正面に「大槌町役場」の文字。
そういえば、2回や3回にも電灯がついていて、たくさんの人たちが働いています。
左側には、二宮金次郎の銅像と、大槌小学校の校歌を刻んだ石盤がありました。
小学校はどこか新しいところに引っ越ししたようです。

There was a signboard of “the Oduchi town government office” in the front of a building, and the second floor and the third floor were lighted too, and a lot of people seemed to work.
The slate which carved with a school song of Oduchi elementary school and a bronze statue of Ninomiya Knjiro were just left on the left side of the building. The elementary school seemed to move in some other places.
※The Oduchi town build a temporary school building of four elementary schools and one junior high school combination in the soccer ground of “Oduchi Fureai Sport Park” in the town block.
And it started as Oduchi elementary and Junior high school in April, 2013.
※Ninomiya Kinjiro or Ninomiya Sontoku(1787-1856) was a prominent 19th century Japanese agricultural leader, philosopher, moralist and economist.

以前来たことのある、小学校の正面から左側の通路に、幹の焼けた木がありました。
近づいてみると・・・、枯れていました。
震災の後にはまだ青々と葉が茂っていて、「えらい、よくがんばっている」と感心したのですが・・・。

When we came here before, there was the tree which was burnt of trunk by a road on the front left side of the elementary school. When we approached the tree, it has died.
When we came after the earthquake disaster, the tree, leaves still grew thick in deep-blue and “Great! You tried it hard well. Good!” I admired.

そして、元小学校の右手の小高い丘にあるイチョウの木も・・・。
この木は昨年は、幹が半分のこっていて、枝にたくさんの銀杏を付けていたのに・・・力尽きたようです。
残念。

And the tree of ginkgo in the small hill of the right hand of former elementary school died. Half the trunks won through up to this tree last year and were able to have the leaf of many ginkgo to branches ……however, it seemed to run out of power. That’s too bad.

この木のそばを通り抜けて、高台にある城山公園に行ってみました。
津波に流され、火災になった江岸寺のこんな看板が。

We passed by this tree and went to the Shiroyama Park in the hill. We then discovered such a signboard of the Koganji-temple which was washed down for a tsunami and encountered a fire.
Guidance of the re-registration of the grave yard location was written to this signboard.
※The koganji-temple chief priest lost his family in a tsunami and became the prefab house temple now.

被災地を見渡す城山公園に、こういうものができていました。
「大槌希望の灯り」と銘打ってありました。

A small lamp tower stood in Shiroyama Park which could look around stricken area of Oduchi town and was labeled as “a light of the Oduchi hope”.

この高台から津波の瞬間の様子を撮影したビデオが、You-Tubeにありますが、左下に見える道路を死にものぐるいで走る人、バイク、車が映っていました。
そして、すぐうしろに津波が家を押し流しながら、すごいスピードで迫っているのです。
あの人たちは、どうなったのでしょうか。

There is the video which photographed the momentary state of the tsunami from this hill in You-Tube. Persons, motorcycles, and cars running on the road seen in the lower left from here desperately look it to you when I watch it. And it approached at great speed while a tsunami washing a house away from immediate behind. On earth what would happen to those people? I was worried them.

何人もの職員、そして町長さんが亡くなった町役場は、まだそのままです。

The many staffs who were in the town office and the town mayor lost the life by a tsunami in those days. And the town government office is in a condition to be still suffering from it.

たくさんの、真新しい花が供えられていました。

A lot of fresh flowers were given.

そこで出会った人です。
ホソモトタツヲさんという若者で、仕事は看護士だそうです。
震災直後から大槌町に入り、遺体の鑑別から始まって避難所に寝泊まりしながら、被災者のためにボランティアをしたそうです。
彼はギターを弾きながら歌も歌うのですが、そのことを知った被災者から、たくさんのリクエストがあり、その後も音楽で被災地支援をしているのだそうです。
ボーカル担当の女性が、顔を近づけてくるので、思わずよけたところを撮られてしまいました。

They are people we met there. This young man with guitar is Tatsuo Hosomo who is a nurse. He entered the Oduchi town at the earthquake disaster immediately and he did a volunteer for a victim including the differentiation of the corpse while staying at the refuge. He is good at singing a song while playing the guitar. There were many requests from affected people who knew it, and he continues consoling a stricken area in music afterwards. In the photograph, the woman of the vocal is left, and next is me, and my co-worker person Brother Uekado, and right –side is Hosomo San.

大槌町は、まだまだです。

Oduchi town takes time still more to accomplish the reconstruction.

釜石の町に入り、交差点でこの写真を撮りました。

We entered the town of Kamaishi and I took this picture at the intersction.

ここも、一応片付けてはありますが、被災したまんまです。

The debris can clear up here for the time being, too, but the reconstruction still more.

大船渡に入り、以前紹介しました時計塔がそのまま残っていました。
時刻は地震が起きた時間をさしたままです。

When we entered the Ofunato town, the clock tower which we introduced before was just left. The hand on the watch is pointing at the time when an earthquake was generated.

大船渡駅前は地盤沈下で、道路に海水が入ってきて、小魚が泳いでいたことがあります。
いまはかさ上げをして高くなっていました。

When we visited the Ofunato station square before, the ground sunk, and seawater flowed into the road, some small fish swum in that. A road was raised with the earth and sand now.

この空き地には「マイヤ」という大きなデパートがあったのですが、それも完全に撤去されていました。

There was a big department store called “Maiya” in the vacant land, but is completely removed now.

途中の海は、だいぶ復旧したようで、ワカメとかカキなどの養殖がおこなわれているようでした。
現地の人の話だと、津波で海がきれいになったので、ワカメとかカキなどの成長が早くなったとか・・・。

When we threw eyes on the sea on the way, a trace of the great part revival was seen. The culture of seaweeds or oysters has been already carried out, too. Because the sea became clean up by a tsunami, the growth such as seaweed and oyster seemed to become fast, according to the story of the local fisherman.

少しホッとする光景です。

It is a scene to be relieved at a little here.

陸前高田市に入りました。
ここは以前にもまして、ガラーーンとしていました。
いまトラックがいるところは、市民体育館があったところです。
ここは避難所になっていたので、ここに避難した人たちが100名近く亡くなりました。

We entered the Rikuzen Takata city. Besides vacant land spread out before here. The place where a truck parked just had once a citizen’s gymnasium. This gymnasium became the refuge, too, and approximately 100 people evacuated at one time.

トラックにこんな看板。
造成して、何か作るのでしょう。

There was a signboard written as “Takada district revival maintenance creation construction” in the front of the truck. They will make something to develop for this land.

高田松原でたった一本だけ生き残った「ど根性松」が、地盤沈下のため海水が入り、根腐れを起こして枯れてしまいました。
復興の象徴でもありましたので、なんとか復元したいという話がまとまり、1億数千万円かけて模造品を作ったそうです。
それを、今年の3、11までに完成させ、みなさまに披露する予定でしたが、立ち上がった「ど根性松」を見た市民が、
「なんか、違うよね」
ということで、作り直しになったそうです。

This is only one remained tree while there were 70,000 in Takata Matsubara. The people called this pine tree as a miraculous tree, or a hope tree, or a guts tree. However, seawater was in this tree because of subsidence and decayed root was caused and has died. Because this tree was a symbol of the revival, the story that they wanted to restore was gathered up somehow and seemed to make an imitation for one hundred million yen. Completed it by 3.11 memorial day of this year and was going to show it to all of citizens, but there was the objection like “It’s different, somehow” from the citizens who watched the guts tree that stood up and seemed the remake it.

広ーい、元、市街地跡。

It is very great wide open place. This is a former shopping street.

がれき処理がまだまだ終わっていません。

Debris removal is not over still more.

2棟あった公営住宅は、うしろの方から解体工事が始まっていました。
ここもやがて、更地になるのでしょう。

These two public housings suffered from it by a tsunami, and the inside fails. Dismantling construction began in the building behind. Here will become the vacant land before long, too.

何もなくなっていく市街地跡に、一軒だけ残っているビルがありました。
これは個人のビルらしく、震災の記念として残すという話でした。
3階建ての屋上をご覧ください。

There was the building where the only one building was left in the city area where there became nothing. This seems to be a building owned by an individual, and the owner seems to leave this as memory of the earthquake disaster. Look at the roof of the third floor of this building.

ここまで津波が来たのです。
あの上に乗って助かった人がいるのでしょうか。

A tsunami seemed to come to a certain place that red arrow in a picture. Will there be the person who enter that top, and was saved?

気仙沼の、あの船も解体が決まったようです。
「市」としては、保存したいと、船主と交渉をしてきたそうですが、地域の住民の中には、解体を望む声が少なくないのだとか・・・。

The dismantling seemed to decide this fishing boat which could be called the symbol of the suffering of Kesennuma. The city authorities wanted to preserve this ship and negotiated with a ship owner, but seemed to be reason there being a lot of voices to expect the dismantling in the local inhabitants.

その理由の一つが、この自動車ではないかと思いました。
車はひっくり返り、室内にチャイルドシートが見えます。

I thought whether one of the reasons of the dismantling of this ship was this car which lay under the ship. This car is overturned and a child-car seat is seen in the room.

いまも、花を手向ける人が絶えません。

People give flowers to still now.

気仙沼市立南気仙沼小学校があったところです。 校舎も体育館も、そして校庭に積み上げられていた山のようなガレキも、何もかもなくなっていました。

There was the Minami Kesennuma Elementary School before. As for both the school building and the mountain debris piled up on the school grounds, they have been already removed all now.

気仙沼市大川の川沿いの光景です。
あちこちに、赤い小さな印がついていました。
ニュースによると、ここには幅10メートルの堤防が出来るとか。
そのために、2年後の今になって、建設省から立ち退きの要請が来たのだそうです。
津波の被害からいち早く立ち直り、家を修理して自活の道を歩み始めた人たちから、なぜ今ごろになってなのか、と声が上がっているそうです。

This is a riverside scene of the Okawa( river) in Kesennuma. I saw that some small pink ribbons were on in many places. They seem to be marks for construction. A dike of 10 meters in width seems to be reportedly for tsunami measures here. Therefore it is now two years after the suffering, and a request of the eviction of inhabitants seems to come from the Ministry of Land, Infrastructure, Transport and Tourism.
Affected people recover themselves from the damage of the tsunami quickly and are the arrowhead that they repair their houses, and they have begun to finally walk a way of the self-support. When it is now when it is why, voices of the distrust seems to break out.

気仙沼第一聖書バプテスト教会の新しい会堂が出来る土地。
今月末には、新しい会堂の基本設計が決まるというお話でした。

The new church building of the Kesennuma First Bible Baptist church is going to be built by this place. In the end of March, the basic design for a new church building seems to be decided.

13日は気仙沼第一聖書バプテスト教会の祈祷会に出席しました。
そのあと、福島に向かいました。
気仙沼から一関に行き、レンタカーを返し、新幹線で郡山に行き、またレンタカーを借りていわき市泉に行くのです。
これは、磐越道の途中の阿武隈高原サービスエリアです。
この日はとても風が強く、空は砂ぼこりで濁っていました。

On Wednesday, March 13, we attended at the prayer meeting of the Kesennuma First Bible Baptist church. We left afterwards for Fukushima. We went by car from Kesennuma to Ichinoseki and returned our rent-a-car there and we went by Shinkansen train to Kooriyama. We borrowed a rent-a-car again in Kooriyama and went toward the Iwaki city. We got off in Abukuma Kougen (high land) service area on the way of Ban-Etsu Expressway. Wind was very strong on that day, and the sky became muddy by a cloud of dust.

店に入ってこんなコーナーに目が止まりました。
放射能測定結果のお知らせです。
いよいよ福島県だなぁ、と思いました。

We entered the shops of the service area, and we caught over eyes one of the corner. This table is news of the radiation result of a measurement of this day. I thought that I finally entered Fukushima prefecture to watch this table.

夕方、泉に着きましたので、さっそく福島第一聖書バプテスト教会の新しい会堂に行ってみました。
先日、教会のホームページに、足場がとれて、外観が見えるようになったと、書いてあったからです。
中ではまだ工事をやっているらしく、いくつかの窓から光が漏れて、とても美しいシルエットでした。

We arrived at the Izumi district of the Iwaki city in the evening, and went to look at the new church building of the Fukushima First Bible Baptist church at once. This is because it was written that scaffolds for construction is removed and came to see the appearance of the church the other day when I looked at the homepage of the church. Lights leaked out from windows whether they still constructed it inside and were very beautiful silhouettes.

翌朝、もう一度行ってみました。
近づくと、道路がこんなふうに左に曲がっているので、その真正面に会堂が見えてきます。

We went to the church once again on the next morning. When we turned to the left at the street, we had a direct view of the church building.

大きな、存在感のある会堂です。

It is a big hold church building.

裏手はこんなふうになっています。

The back of the church is like this.

中央の、礼拝堂の部分はこういう感じで、正面を見ると十字架があり、そしてそのまままっすぐの方向に、大熊町のもとの教会堂があるのだそうです。

When the part of a central chapel looks at the front for such a feeling, there is a cross and there seems to be an original church building of Okuma- Machi in the same straight direction.

正面の左側は食堂ですが、右手の壁は開き戸になっていて、全部収納すると広い空間が誕生します。
先日、ユーオデアのコンサートがあったそうですが、なんと、320人が入ったそうです。

The left side f the front is a dining room, but the wall of the right hand becomes the door, and wide space is born when you open out all of them. There was the concert of the accordion in this large space the other day, and seemed to overflow in 320 audiences. That’s wonderful.

ちょうど佐藤彰先生がおられて、会堂内を案内していただきました。

When we visited this church, Pastor Akira Sato (the right of the picture) just guided us of being at home in the building of the church.

外から見ると、まさに翼を広げて、飛び立とうとする「鷲」のイメージです。
大熊町の会堂に向かって。
出来て2年ほどだった真新しい会堂を捨て、放射能に追われ、逃げたたくさんの人たち。
原発事故が完全に収束し、みなさまがふるさとへ帰る日が早く来るようにと、心から祈りました。

It is the image of “the eagle” which this church right opens a wing seeing from outside, and is going to fly away. It seems to fly away towards a church of Ookuma town where you cannot enter for a nuclear plant accident. This church of the former Ookuma town met with a nuclear plant accident after a building in only two months. And the people threw away the brand new church building, and being chased by radioactivity, and they fled to all parts of the country. A nuclear plant accident completely converges and prays that the day when all of churches returns to the Ookuma town of home town again come early heartily.

震災救援コーディネーター
佐藤省三

JMF disaster relief assistance coordinator: Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami Church
〔Translated by Takanori Sasaki of JMF chair 〕

仮設訪問2012年12月
“The temporary housing visit,” December 2012

大震災から1年と9ヶ月、2012年のクリスマスプレゼントを持って、気仙沼市内の仮設住宅を訪問してきました。
今回の訪問は、12月10日〜13日まで。
メンバーは、宮崎南教会の3人(佐藤省三、佐藤恵美子、上門豊明)です。
東京までは飛行機でしたが、東北新幹線に乗ると間もなく、まわりは一面の雪景色。
南国宮崎から来た私たちには、雪が積もっている光景そのものが珍しいのです。
一関からはレンタカーで気仙沼を目指しました。
まわりは真っ白で、外はとても寒い。

Great earthquake disaster one year nine months later, we visited the temporary houses in the Kesennuma city with Christmas presents of 2012. Our visit of this time was from December 10 to 13th. The participation members were three people of the Miyazaki Minami Church: Mr. Shozo Sato, Mrs. Emiko Sato, and Mr. Toyoaki Uwakado.
We went by air to Tokyo and aimed at Tohoku district on Shinkansen train from Tokyo. The circumference one side was a snow scene when we approached Tohoku. For us who came from southern country Miyazaki, the scene that snow piled up was rare. We aimed at Kesennuma by a rent-a-car from Ichinoseki city. The car window was pure white, and the outside was very cold.

海岸に近い気仙沼は、雪はそれほど多くありませんでしたが、西から冷たい風が吹いていて、私たちにはとても寒かったです。
宿舎は、以前、気仙沼第一聖書バプテスト教会があった場所に建てられている、「祈りのセンター」と「支援センター」でした。
私たちもそれなりに寒さ対策をして行きましたが、第一教会の嶺岸先生が心配して、石油ストーブやホットカーペットなど用意して下さっていて、何とか無事に過ごせました。

There was not so much snow in KKesennuma which was near to the shore, but cold wind blew from the west, and we were cold at all. Our lodgings were “ a prayer of the center” and “the support center” built in the place where was Kesennuma First Bible Baptist Church before.
We made cold measures as much, too, but we were able to spend it safely because the pastor Minegishi of the First church worried and prepared for the kerosene stove and the hot carpet or electrical carpet for us.

12月11日火曜日の朝です。
前に何度かお世話になった、デイリーフーズ鵬城の社長さんに支援物資のお米を用意していただきました。
おまけにみかんまでいただき、お礼に、記念撮影。
これはたすかりました。

It was the morning of Tuesday, December 11. We had the rice of support supplies prepare to the president of Daily Foods Hojo of the local supplier that we were taken care of several times before. We have got some mandarin oranges from him as a free gift, and we thanked him, and took a ceremonial photograph.

支援物資のお米には、第一教会の名前とJMFの名前がさりげなく印刷されたシールを貼りました。
全部で160袋です。

We put the seals which the name of First church and the name of JMF indifferently on the bags of aid rice. The aid rice was 160 bags in total.

レンタカーに積めるだけ積んで、仮設住宅へ。

Piling them up loaded aid rice onto a rent-a-car, and we went to the temporary residential area.

今回は、第一教会の嶺岸先生と相談して、昨年の冬訪問をした面瀬中学校の仮設住宅を訪ねることにしました。

「仮設住宅案内図」のとなりに、フィンランドからサンタさんが来ます、というポスターが貼ってありました。

In consultation with pastor Minegishi of First church, we decided to visit the temporary residential are in the Omose Junior High School’s play grounds which we visited in last winter this time. The poster which Santa Claus comes over from Finland was put on “the temporary house guide map.”

一軒一軒、ドアをノックして最近の生活の状況などをお聞きしながら支援物資をお届けしました。
平日の火曜日だったのですが、在宅の方が多く、いろいろなお話を伺うことが出来ました。

While knocking at the door of entrance, one house to one house, we delivered aid supplies while hearing their recent living conditions. It was Tuesday on weekdays, but there was much one at home, and we were able to hear their various stories.

午後の訪問の時でした。
あるお宅を訪問した時、
「まあー、遠い所から良く来て下さったねぇ、上がんなさい、上がんなさい、」
と、かなり強引に(?)誘われて、お茶っこに上がり込んでしまいました。
この方は、佐藤さんという方で、私たちと同じ姓でもあり、また話がはずみました。
佐藤さんは気仙沼港の近くで理髪店をしておられました。
宮崎からも船が来ていますので、宮崎出身のお客さんもおられたそうです。
しかしあの津波で家もお店も流され、仮設に入られました。
仮設の方々から、「佐藤さん、仕事を始めませんか? みんな協力しますよ」というお話が来るそうです。
ところが佐藤さんは、どうしてもハサミを握る気持ちが起きて来ないのだそうです。
「どうしてですか。」
と、聞くと、
「私は家と店だけでなく、大切なお客さんを30人も流されてしまった。亡くなられたお客さん一人一人の顔や頭の感触が手に残っていて、まだそういう気持ちになれないんです。」
というお返事。
理髪店というお仕事の、お客さんひとりひとりとの絆の深さを教えられました。

It was time of our visit of the afternoon. It was time when we visited a certain home.
“Oh, my! You come from the far-off place, don’t you? Come on in! Come on in!” Although it was provoked by her considerably forcible voice, we accepted an invitation of their tea willingly in a living room. Their family name was same as Mr. and Mrs. Us in Sato, and there was such a thing, we had lively conversations with each other.
The Sato family ran the barber’s near the sea port of Kesennuma. Because some ships came over to the port from the Miyazaki prefecture, the customers from Miyazaki seemed to come to their shop. However, both their house and the shop were washed away by that tsunami, and they were forced to the life in the temporary house.
“Sato San, don’t you begin the work of barber’s? All of us cooperate seems come,” some neighboring people often talked to them. However, in Sato San, feelings to grasp the scissors of the barber shop seem to never happen. I asked him, “Why?” He said to me, “As for me, it has been washed down our thirty important customers by a tsunami including my house and shop. The touch of their face and head of each customer who died stays in my hands. That’s why I can’t still become such a feeling.”
As for me, it was taught the depth of the bond with each customer of the work pattern called the barber’s to hear his story.

この写真は、最近、気仙沼第一教会が購入された土地です。
みんなでずっと祈り求めておられましたが、神さまが用意して下さったのは、780坪の、国道沿いの素晴らしい土地でした。

The photograph is the land which Kesennuma First church purchased recently. All of church members prayed all the time, but it was splendid land along the national road of 2,574㎡that God prepared.

手前は宅地ですが、奥の方は農地で、地主さんが、全部まとめてなら売る、ということだったのだそうです。
教会では初め、300坪くらいの土地を、と考えていたそうですが、信仰をもって決断されました。

Residential land and farm land are included in this land. They cannot build a house on the farmland in Japan. The price of the residential land is high, and the price of the farm land is low. Therefore the landowner seemed to be to sell if they bought it including farmland. They bought about the beginning, the land of 990㎡, but they seem to want to do decision to all purchase with faith.

11日火曜日の夜は、震災の「月命日祈祷会」というのが開かれました。
震災以来、毎月11日にずっと続けられているのだそうです。
あの日亡くなられた方々のことを思い、残された家族のこと、被災者の方々のことを思い、みんなで祈りました。


これは12月12日水曜日の祈祷会の後の写真です。
第一教会の中田さんが震災のことを想いながら紙芝居を作った、と、みなさんに披露して下さいました。

“The month anniversary of a death prayer” of the earthquake disaster was carried out on the night of Tuesday, December 11. They seem to continue it since the great earthquake disaster all the time for 11th a month. We thought of the people who died on the day of that earthquake disaster and it was a thing of left families and thought the various places of the victims to be it and prayed with all of us.


This is a photograph of the prayer meeting of Wednesday, December 12. While Mrs. Nakata of the First church yearned for the earthquake disaster, she made a picture-story show. And she showed these pictures to all members.

祈祷会の後の記念撮影。

We took a ceremonial photograph after the prayer meeting.

さて、水曜日の午後は面瀬中仮設住宅の集会場で開かれるクリスマス会に参加しました。
これが集会場です。

By the way, on the afternoon of Wednesday, we participated in Christmas party held in the temporary house’s assembly room of the Omose Junior High School play grounds.
This is an assembly room.

私たちは会場づくりのお手伝いです。

We helped with the making of meeting place.

午後2時からのクリスマス会が始まり、嶺岸先生の挨拶があり、私たちも、九州から来た、ということで紹介していただきました。

Christmas party began at 2:00 p.m. of the day, and pastor Minegishi gave welcoming speech to the people, and it was introduced when we came to the volunteer from Kyushu in southern Japan.

そこへ、サンタクロースがトナカイを連れてやってきました。
フィンランドから来られたレイヨー先生という宣教師です。
レイヨー先生は長い間関西で宣教師としてご奉仕されましたが、数年前に引退されました。
しかし、東日本大震災の後、ふたたび日本に来て、各地で支援活動をしておられるのです。

Santa Claus came over to the Christmas party with a reindeer. The Santa Claus was Missionary Rayo from Finland. He had been serving it as a missionary for a long time in Kansai or Osaka area, but he retired several years ago. However, after the East Japan Great Earthquake Disaster, he came to Japan again and continued working on relief in each place.

レイヨーサンタさんのひげは、付け髭ではなく、自前の本物です。
先生の話によると、毎年7月頃からひげを伸ばし始めるとか。
手入れは大変だけど、自分の役割はこれなんだ、と割り切っておられるとのこと。
また、レイヨー先生は素晴らしい声の持ち主で、ホワイトクリスマスなどクリスマスの歌を数曲歌って下さいました。
クリスマスのメッセージは、ストレートにキリストの誕生を、そして福音を語って下さいました。

The mustache of Rayo-Santa-San was his genuine article not a false mustache. He seemed to begin to grow a mustache every year from about July. The care for mustache was a harder matter but this seemed to be practical with his role.
In addition, Mr. Rayo was an owner of a splendid voice, and he sang several pieces of songs of Christmas such as White Christmas.
He talked about the birth of Christ and the Gospel of Christ as a message of Christmas.

最後に、レイヨーサンタさんからプレゼントがありました。
皆さんが手に持ってあげておられるのは、毛糸で編んだものですが、これは大阪の、94才のおばあちゃんが被災者のために何かしたいと、ひとつひとつ手で編んで作られたものだそうです。
それで、おばあちゃんに、「ありがとう」と言い、その様子をビデオに撮っておばあちゃんに見ていただくのだそうです。
このような心の通い合う支援、というのはすてきです。

Finally there were presents from Rayo Santa Claus. All of them held the things which she knitted out of woolen yarn in a hand each. When 94-year-old woman of Osaka wanted to do what oneself was for victims, she knitted these with her hands one by one. People who had a present thanked her with “Thank you,” heartily. Mr. Rayo took these things to a video and seemed that the help that went of such a heart was wonderful.

クリスマス会が終わった後、私たちは気仙沼キングスガーデンに、菊池良一先生ご夫妻を訪ねました。
先生は長い間、日本同盟キリスト教団の牧師をしておられましたが、おふたりともご高齢になられ、気仙沼キングスガーデンに入所しておられたのです。
しかも最近奥様は病気が見つかり、教会の祈祷会をお休みになっておられたからです。
さいわいこの時は体調が落ちついておられたようで、夫婦揃ってお会いでき、しばらくいろいろなお話をすることが出来ました。



その夜は、今まで何度もお世話になりました愛隣オフセット印刷の阿部さんのご家族から夕食のご招待をいただきました。

After Christmas party we visited Mr. and Mrs. Ryoichi Kikuchi who reside the Kesennuma Kings Garden nursing home for the aged. Mr. Kikuchi has been serving it as a pastor of the Japan Alliance Christ Church for a long time, but two become old and enter the Kesennuma Kings Garden nursing home now. Besides, a disease is found in Mrs. Kikuchi recently, and they seem to be absent from the prayer meeting of the church. Fortunately, when we visited it, it seemed to be settled down to her physical condition, and a couple met us all together and was able to talk in various ways for a while.


We were invited dinner in the evening by Family Abe of the Airin Offset Printing Company that we were taken care of many times.

お料理の一つは、サンマの佃煮です。
「えっ、これが佃煮?」
と、思いましたが、阿部さんの奥様が、サンマがたくさん手に入った時に、佃煮にして保存しているのだそうです。
とってもおいしくて、この中の4切れを私が食べてしまいました。

One of the dishes which we ate was saury-fish boiled in soy sauce. “What? These were foods boiled down in soy?” I thought whether a figure changed. When Mrs. Abe got a lot of saury-fish, she seemed to keep them as foods boiled down in soy. I have eaten four slices of these inside because it was very delicious.

これは、仙台のおみやげです。
昔懐かしいお菓子が出て来て、これもおいしくいただきました。

This is a souvenir of Sendai. A classic cake came out and we had this deliciously.

気仙沼から一関に向かう途中は、雪でした。
その途中の北上川で一休みしました。

When we went to Ichinoseki city from Kesennuma city was snowy on the way. We took a short break at the Kitkami river banks of a river on the way too.

川を眺めていると、白鳥の群れが羽を休めていました。

When we looked at a river, a flock of swans rested feathers.

見ていると、その中の数羽が滑走を始めました。

When we watched them, several of them of the inside began a run.

5羽の白鳥が、空へ。
彼らの力強い羽ばたきの跡が川面に残って、私たちには珍しい光景を見ることが出来ました。

Five swans flew to the sky, and the trace of their powerful flap was left in the surface of a river. We were able to watch a rare scene.

クリスマス直前で、いつものより一日短い被災地訪問でしたが、中身がいっぱい詰まった素晴らしい訪問をさせていただきました。
皆様のお祈り、ご支援を心から感謝します。


Because we were just before Christmas season this time, it was a short stricken area visit all day longer, but the contents did a splendid visit clogged up much.

We really thank you for your prayer and support heartily.


震災救援コーディネーター
佐藤省三

JMF disaster relief assistance coordinator: Shozo Sato of Miyazaki Minami church pastor
〔Translated by Takanori Sasaki of JMF〕

金子チームの東北訪問 2012年9月
Tohoku visit of the Kaneko team, September 2012

献二、金子誠児


Firstly I thank God who gave the opportunity of the volunteer in me and my son, Seiji.


はじめに、僕と息子、誠児に、ボランティアの機会を与えて下さった神さまに、感謝いたします。


一年半の願いが通じ、今回、シンガポールの友人ポール(Paul)さんの誘いで、3.11いわてネットワークに通ずる、ボランティア活動に、9月17日~9月21日と参加してきました。
ポールは震災後間もなくから、これで計6回、シンガポールチームを日本に連れてきました。
今回で最後になると言うことで誘いがかかり、帰国に合わせて大船渡市に行って来ました。よくある話ですが、聞くことと実際に見ることの違いを目の当たりにしました。


The wish of one and a half years came true, and I was able to participate in the volunteer activity to sponsor of "3・11 Iwate Relief Assistance Network" an invitation of Singaporean friend Paul San this time by September 21 from September 17 with Seiji. Included Paul after an earthquake disaster soon and brought six times in total, a Singaporean Relief Team in Japan at this time. As for his relief visit to Japan, I had an invitation from him concerning the last time. Therefore I went to the Ofunato city for a volunteer with my son to a schedule of our return home, U.S.A.


ポールに言わせると、「シンガポール人はあまり大工仕事をしないので、不器用だが、料理がうまい。」のでシンガポールチームの仕事の主な内容は…仮設住宅へ行き、昼ご飯を作り、子どもたちや老人のために遊びや、手芸などをしながら、聖書の物語などを語るのが主な活動でした。
ただ僕の方は、大工の経験があるので、大船渡のベース、グレイスハウス(Grace House)の手直しや、仮設住宅地のためのベンチなども作りました。瓦礫撤去などの重労働ではなく、体には優しいボランティアでしたが、考えさせられることばかりで、ふだんあまり使っていない頭には重労働だったと思います。


"Because we Singaporeans do not do carpentering very much and we are not skillful with our hand, but our cooking is good." said Paul. Therefore the main activity of the Singaporean team cooked lunch in the temporary housing, playing and handcrafts with the children and senior persons, and also they talked about the story of the Bible. Because I have a carpenter experience, I repaired the building of "Grace House" of our relief base of the Ofunato city, and I made the benches for temporary house residents with my son, Seiji. My work was a tender volunteer to my body not hard labor such as the debris removal, but was only that I was made to think of me. In a sense, as for it, I thought that it was hard labor to my head which I did not use very much every day.

グレイスハウスは管理人のフレドリック&千加子、ウィットワーさん、大塩梨奈さん、大工のマイカ・ジェントさん、が、中心になり活動しています。
津波で浸水した家を借り、少しずつ手入れをし、雑魚寝ですが、10人ぐらいの団体を受け入れることが可能です。
ウィットワー夫妻はホーリネス教会出身で、この5月から奉仕を始め、各ボランティア団体をどう受け入れ用いるか、また、フルスタッフとして自分たちの生活のリズムをどう保つかなど、悩みを打ち明けてくれました。
鳥取出身の梨奈さんとはあまり話す機会はなかったのですが、子どものプログラムなどで活躍していました。
マイカさんは青森出身ですが、大船渡市大立にある仮設住宅に住み、棚や靴箱、腰掛など、周囲の住民のニーズに合わせて材料費だけ頂いて、いろいろなものを作っていました。
25歳の若者ですが、その仮設住宅地の管理人や周囲の人との信頼感は、仮設に住みながらの奉仕だからこそ生まれたのでは、と思いました。スタッフの皆さんみんなバイリンガルで、子どものための英会話教室も奉仕の一つです。


Frederick and Chikako Whitwer of the manager, Rina Oshio of the worker, and Micah Gent of the carpenter were active as play a key role in the Grace House. This building borrows a house flooded by a tsunami and it is a small house which everybody repaired little by little together, but can accept around ten volunteers when it is binding together. The Whitwer married couple of Holiness church began service in this May here. They confined a trouble to me such as how do they receive and work each volunteer group or how do they keep the rhythm of their everyday life as the full staff.


I did not have an opportunity to talk about very much with Rina San of the worker from Tottori prefecture, but she played an active part in the program of the children. Micah San was from Aomori prefecture, but he lived in the temporary house in Odachi, Ofunato city, and he made a shelf, a shoebox, the chair and so on which he put together in the needs of neighboring inhabitants with only a material cost. He was a 25 –year-old youth, but I thought that he was brought about by the manager of the temporary construction residential area and neighboring people simply because the confidence that he received was service while he lived in the temporary house. The English conversation class for children was one of the programs whether all staff was because they were bilingual.

シンガポールチームと「グレイスハウス」スタッフの他、もう一人坂田さんという青年に会いました。
もう何回もボランティアに来ているらしく、神学生だった彼は、これからの人生どうするかと考えながら、暑い中「グレイスハウス」の回りの雑草畑を花畑に変えてしまいました。
もう死にかけている花を購入してきて植え、“神は病気で死にそうなものを救われた。”と、植え終わった後、僕につぶやいてくれました。
その夜、雨が降り、翌朝には、しおれていた花々が綺麗に上を向いているのを見、神の恵みを感じました。


There was a young man worker called Sakata San other than a Singaporean team and the staff members of Grace House. He was a theological student and seemed to have already come for a volunteer many times here, and he changed a weed field around the Grace House into a flower garden in the hot day while thinking coming his life what he does for it. When he purchased some flowers which had been already half-dead, and he planted them to the flower garden and he murmured to me "God saved the things which seems to die of disease," when he had finished planting them. It rained in the evening and I saw the flowers which were able to hitch up on the next morning turning to the top neatly, and I felt a grace of God.


ボランティア中レンタカーを借りることが出来たので、三日目に、ポールの依頼で、大船渡市の北にある山田町と大槌町に足を延ばしました。
山田町では、OMF岩手支援プロジェクトの拠点「いっぽいっぽ・山田」の管理人であるマイク&ロウィーナ、マギンティさんと話しすることが出来ました。
743人の人が亡くなり、46.6%の町が破壊された山田町には、今、約6000人が49箇所の仮設住宅で暮らしています。マギンティ夫妻は、仮設訪問をしているうちに、町の主な公共施設、スーパーなどを失った人たちのために、気軽に立ち寄れる施設が必要と感じ、この交流の場を町のど真ん中に設置し、地域に根付こうと思ったそうです。
僕たちが訪問した日はちょうど韓国の日と題して、ちょっとした韓国料理と賛美を提供していました。
北海道に28年もの間、OMF宣教師として奉仕されていたマギンティ夫妻の関係、ボランティアは北海道の方が多いようです。
話の中でマイクさんは「これからは心を支えるボランティアが必要、ですから、日本人か日本語が流ちょうな外国人をボランティアに優先する。」と言っていました。
日本語を知らないポールにとっては少し痛い言葉だったかもしれませんが、これから“いっぽいっぽ・山田”を交流の場から宣教の拠点、そしていずれは教会に、と言う考えもあるようですので、僕は同感しました。


Because I was able to borrow a rent-a-car, I went out by a request of Paul San with Seiji in Yamada town and Oduchi town in the north of the Ofunato city after three days of my volunteer activity. In the Yamada town, there was the opportunity when I talk about the suffering support activity with Mike and Rowena McGinty who was a manager of base "Ippo-Ippo・Yamada" of the PMF(Overseas Missionary Fellowship) Iwate project. 743 people die of a tsunami in the Yamada town, and 46.6% of the town is destroyed, and approximately 6000 inhabitants live now in 49 places of temporary construction houses. While they visited the temporary houses, the McGinty married couple seemed to feel them for people who lost public accommodation or the super market of the town if the institution which could drop in willingly. And they seemed to intend they established the place of this interchange in the middle of the town, and to root in this area.


大槌町では、同じくOMF釜石・大槌地区の代表の高橋和義、芳江夫妻の案内で、計6村落500棟もある仮設住宅地に放課後の子供のプログラムをするために、7名ぐらいのボランティアに同行しました。
内陸の田んぼを仮設住宅にした所で、そっけない仮設住宅と、黄金色になった田んぼの隣り合わせになった風景が、今でも心に鮮明に残っています。
日本人と米はきっても切れない関係ですので、被災者方々にとっては心の和む風景なのかもしれません。
ある年配の方は、そんな田んぼを見ながら当時の嫌な思い出のことを、話してくれました。
各村落に集会所の建物が設置されており、その中の一つを借りてプログラムをしました。
OMFチームの子供プログラムをそこでするのは初めてとあって、何人の子供が集まるかと心配しましたが、幼児も合せて計20人前後が集まってくれて、皆さん安心していました。
その日の内容は、4時~6時の間、半分は宿題や他の勉強などの手伝い、そして残りの時間はスーパーボールを作りました。
実際に勉強を一所懸命していた子はほんの少ししかいませんでした。
震災で勉学の時間が失われ、子どもが後れをとってしまっている、と心配する親が多い、でも、ボランティアとしては勉強の方はプッシュしないようにしている。と、高橋先生は言っていました。その日来てくれた子どもたち全員、笑顔で家路に戻っていきました。


They just provided slight Korean food and hymn titled a day in Korea on that day when we visited it. He said that volunteers had more Hokkaido in the people concerned of the McGinty married couple who was served as OMF missionaries in Hokkaido for 28 years. "A volunteer supporting the heart of the victim is necessary from now on. Therefore I think that the Japanese or a Japanese fluent foreigner is given priority to over a volunteer." Mike San said. As for him, Japanese was not so fluent, but, as for him, base of the mission and which seemed to think about a plan to a church in future from the place of the interchange in "Ippo-Ippo・Yamada." I agreed with his thought.


I went together for the program of the children after school including seven volunteers by guiding of Kazuyoshi & Yoshie, Takahashi of the OMF-Kamaishi, Oduchi district representative in 500 temporary residential areas with my son Seiji in the Oduchi town. This temporary construction area is built by an inland rice field, and the people of six neighborhood village live. The scenery which became adjoining of the curt temporary construction houses and rice fields which became golden stays in my heart clearly.
The rice fields may be the scenery that a heart softens for the victims in the rice having a very deep relation from ancient times. A certain elderly person then talked about an unpleasant memory to me while looking at such rice fields.
A public meeting room was added to the temporary house group in each village and we borrowed it and programed the children. It worried that the children program of the OMF team performed there how many children gathered to them for the first time, but they were relived because 20 children gathered including small children. We taught children arithmetic, Japanese and so on from 4:00 p.m. to 6:00 and we made super balls with children. However, there were really children who did study hard just a little. On the other hand, most of the parents worried about their children's learning tempo because of losing study time by an earthquake disaster.
Mr. Takahashi says that they prevent them from forcing children to do study for it. All children came back to their home with a smile.

このたびは、息子とのボランティア参加とあって、半分現地視察的なこともありましたが、僕なりに今後の祈りの課題をまとめてみました。


This time I participated in a volunteer with my son, but half might be like local inspection. However, I settled problems of the future prayer for me.


1.各地のボランティアを受け入れるスタッフの方々のために、日々の体と心の癒し、毎週の休日が与えられるように。
1.So that, for the staff who accept volunteers from each place, their body and healing of the heart are given, and a holiday of the every week is given.

2.ボランティアに来る人の足並みが途切れないように。
So that step of a person coming for a volunteer does not break off.

3.これから何年もの間、仮設住宅に住まなくてはならない人たちの心のケア、また、その子供たちの将来のことのために。
For the care of the heart of the people who must live in the temporary houses for years from now on, and for the future of children.

4.政府が今後の東北再建のためにいい判断、結論を出していくように。
So that Japanese government gives a good judgment, a conclusion for the future Tohoku rebuilding.

5.多くのクリスチャンが神を信頼し、絶えず東北の人たちのために祈り、一人でも多くの信者が東北の地に生まれるように。
So that many Christians trust God and pray for people of Tohoku consistently, and many believers are born in the place of Tohoku alone.

6.神の癒し、恵みと栄光が東北の地から日本全土に広がるように。
So that healing of God, a blessing and glory of God spread through the whole land of Japan from the place of Tohoku.


「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、また自分の体のことで何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。

あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。

なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。

しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか、信仰の薄い者たちよ。

だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。

何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

〔マタイ6章25~34節〕

"This is why I tell you: do not be worried about the food and drink you need to stay alive, or about clothes for your body. After all, isn't life worth more than food? And isn't the body worth more than clothes? Look at the birds flying around: they do not plant seeds, gather a harvest, and put it in barns; your Father in heaven takes care of them! Aren't you worth much more than birds? Which one of you can live a few more years by worrying about it? And why worry about clothes? Look how the wild flowers grow: they do not work or make clothes for themselves. But I tell you that not even Solomon, as rich as he was, had clothes as beautiful as one of these flowers. It is God who clothes the wild grass – grass that is here today, gone tomorrow, burned up in the oven. Won't he be all the more sure to clothe you? How little faith you have! So do not start worrying: 'Where will my food come from? or my drink? or my clothes?' (These are the things the heathen are always concerned about.) Your Father in heaven knows that you need all these things. Instead, be concerned above everything else with his Kingdom and with what he requires, and he will provide you with all these other things. So do not worry about tomorrow; it will have enough worries of its own. There is no need to add to the troubles each day brings.
〔Matthew 6:25-34(Good News for Modern man: TEV)〕

最後になりましたが、僕たちのボランティアのためにいろいろ働いてくださった方に心から感謝いたします。


It was the last, but thanks us who worked for our volunteer activities in various ways hearty.

金子 献二

Written by Kenji Kaneko living in the U.S.A.
(Translated by Takanori Sasaki of JMF)

仮設訪問2012年8月
“The temporary housing visit,” August, 2012

日本BIC 萩田床山キリスト教会 代表 岡野雅治

Masaharu Okano, Representative of HagitaTokoyam Christ Church,
Japan Brethren in Christ


 昨年の8月(宮城県気仙沼市・岩手県陸前高田市)に続いて佐藤先生からのお誘いを頂き参加となった。当初北海道地区も参加されるとのことで、昨年のメンバーとの再会も参加への動気付けとなったが、直前に緊急の諸事情の発生で北海道地区・山口地区も参加の辞退があり、宮崎県メノナイト5名山口県BIC1名の6名となったが、5名は昨年の参加者であり初参加の方を交えチームワークの取れたボランテア活動となった。
 まず、佐藤省三牧師には震災救援コーディネーターとして、活動の計画・現地との調整などすべてご配慮いただき、予定通り活動できたことに心から感謝とお礼を申し上げたい。
 今回の活動拠点は昨年被災現地の案内を頂き、衝撃を受けた気仙沼第一聖書バプテスト教会跡地〔基礎コンクリート・不思議にも残ったフローリング張りの床〕に、国外の宣教師等によって祈りのうちに台湾・中国などからの献金が寄せられ、2月に中古のプレハブ2棟「祈りのセンター」「支援センター」が捧げられた施設を利用することになった。水道施設はないものの、簡易トイレ・電気・レンジ・冷蔵庫等も用意されていた。

 I had an invitation from Pastor Sato following August (Kesennuma City, Miyagi prefecture and Rikuzen Takada City, Iwate prefecture) of the last year and became this participation.
It seemed to be participated at first from the Hokkaido district, and the reencounter with the member of the last year became the incentive of the participation, but refusal of the participation were in Hokkaido district and Yamaguchi district by occurrence of the urgent all affairs falling just before that, and it was with six people of five Mennonites from Miyazaki prefecture and one BIC member from Yamaguchi prefecture after all, but five were participants in last year, and it was with the volunteer activity that the teamwork was able to take with the first participation.

First, Pastor Shozo Sato, I would like to thank and grateful that you all care planning activities, such as coordination with local disaster relief coordinator, was able to work as scheduled.

This operating base center has the guidance of the suffering field in last year, and a contribution from Taiwan, China was put to the Kesennuma First Bible Church ruins (floor of basic concrete and covered with the flooring that, strangely, were left) where we were shocked by on prayer by overseas missionaries, and two used prefab houses will use the institution where “a center of the prayer” and “a support center” were given to Headquarters.


There is not the waterworks, but a portable toilet, electricity, a microwave oven, and a refrigerator are prepared.

 隣のお家のおばさんが来られ、話しているうちにとても美味しいミニトマトをいただき、みんなの朝食のデザートにさせていただいた。

The woman of the neighboring house met and made friends while I talk and had some delicious mini-tomatoes from her and did them in dessert of our breakfast.

 スーパーマン的な超ご多忙の嶺岸牧師ご夫妻の実行力とボランテア引き受け調整への献身的な奉仕に、国内外から多くの捧げもの・祈り・ボランティア活動の輪が継続して行われ、私たちの滞在期間中にミッションスクールの女子学生たちが祈りのセンターの周りの美化活動に来ていた。

Many contributions and support supplies are given to the executive ability of the Mr. and Mrs. Minegishi clergyman of the superman-like super pressure and devoted service to their volunteer undertaking adjustment from the inside and outside of the country, and a ring of prayer and the volunteer activity continues it more and is performed.
Girl students of the Christian school which is a school run on Christian principles or by a Christian organization came for the beautification activity around “the Center of the Prayer” during our stay.

 佐賀からボランティアにきたという青年が、支援センターにいっしょに2泊した。

The young man who came for a volunteer from the Saga prefecture, Kyushu stayed at “the Support Center” for the two days with us.

 祈りのセンターは2月開設以来約600人強の人が集い、主イエス様に熱い祈リが捧げられている。今後も復興ボランテア活動重要拠点施設として、主の介在の中で福音の種が蒔かれ、さらに大きな輪に広がるためにこれからも捧げとお祈りが必要であり、継続されることの大切さを思わされた。
 昨年8月のボランティアは天候不順だったが、今回の期間中は天候にも恵まれ(九州・山口地区並みの酷暑?)予定通り実行できたことを主に感謝を申し上げたい。
 今回の活動は、2日間に亘って仮設住宅を訪問し、支援物資(お米3キロ・洗剤・ティッシュペーパー・トイレットペーパーなどに聖書・教会案内・伝道用トラクト等を加えた)を配布しながら、被災者の方との交わりの時を持つことであった。  初日の午前中は支援物資の準備をした。

In the Center of the Prayer, approximately a little over 600 people gather since establishment in this February and prayer is given to the Lord Jesus. Because a kind of Gospel was sowed to their place in interposition of the Lord Jesus as an important base of the revival volunteer activity, and a bigger ring opened, praying with a contribution was still necessary and was reminded of the large chop what was continued in future.

The volunteer of last August was unseasonable weather, but during this period, great thanks the Lord Jesus in it having been possible for volunteer activity on schedule blessed with weather (the intense heat that here Tohoku district was the almost same weather as Kyushu and Yamaguchi area this year, I think).

It was to have time of people and the fellowship of the afflicted people while this activity visited the temporary houses for two days, and it could go, and distributing the Bible, a church guidance, and a tract for missionary work for one household, and also to support supplies such as 3 kilo rice, a cleaning substance, tissue paper, and toilet paper for one household.
 We prepared for support supplies during morning for the first day.

 訪問場所は、以前嶺岸先生ご夫妻が訪問された仮設住宅で、水梨地区にある仮設住宅で、気仙沼中心街から車で約10数分余の丘陵地にあり、戸数は80戸であった。
 訪問前に一同輪になってこの訪問が御こころに沿い、被災者の方とのお話の時がまた必要な言葉・態度が整えられますよう、特にこの訪問は被災者の方のお声を聞かせて頂くと言う謙虚さの中で、主が共に働いてくださるよう、お祈りをもって初日の訪問を開始した。
 嶺岸先生のご経験から、二人一組のペアで訪問するようご提案を頂き、そのようにした。初日は約40戸の訪問とした。

There was the visit place by car in the hill country of approximately ten more than several minutes from the Kesennuma city center of commerce in the temporary housing where Mr. and Mrs. Minegishi were visited before, and the number of houses was 80.

We started a visit for the first day having praying so that it became the all us ring before a visit, and the words and the manner that were necessary at the time of story with the various places of along a heart of God and the afflicted people this visit were fixed so that the Lord worked in humility to be able to have them tell this visit the voice of the afflicted people particularly together.

We received suggestion that we should visit it with one set of two people from experience of Pastor Minegishi and did it like that. We assumed it approximately 40 visits on the first day.

 私は誠実で沈着な霧島キリスト教会〔宮崎〕の坂本兄とペアを組むこととなった。
 昨年ご一緒できた兄弟であり、私をフォローしてくださるには最適の人であった。

 軒並みに新規家庭を訪問することは、元金融機関の渉外時代には必須事項であり、部下の実践教育にも関わった経験はあるものの、今回は全く事情が違いどのような場面に遭遇するか少なからず心に不安と恐れが同居していた。最初の一声はどのような言葉をかければよいかなどの思いが交錯するなか、主が共にいてくださる事を信じ、玄関ドア前の風除湿の網戸を開けた。
 ドアのノックと共に、「こんにちは、お邪魔します。教会から来ました。少しお目にかかれる時間をいただければと」との呼びかけに、少し間をおいて初老の男性がドアを開けてくださった。
  簡単な自己紹介、持参の生活必需品の贈呈を申し出た。少し戸惑いを見せられたもの、言葉少なにありがとうございますと受け取ってくださった。遠隔地の宮崎・山口県からの訪問者に敬意を示された。
 次の訪問途中、通りすがりの70代後半の婦人から突然声がかかった。今日は何を配布されているのですかと?自己紹介と持参品をお見せすると、私お米は十分あります。と、洗剤などの消耗品セットを希望されたので、お宅まで持参しましょうと同伴した。玄関に組長当番表があり、少しお話を伺えないでしょうかとお声をかけると、快く応じてくださった。
 夫・祖母共に被災時、命は得たものの被災後すぐに避難所に入れず、親族の家に避難したため、おむすびなど当座の食料などの配布がなく、日赤の支援者とトラブルがあったこと。仮設住宅入居後まもなく夫が疲労とストレスなどで脳梗塞の発病から他界、その後祖母も持病の悪化で入院他界されたと。お話は尽きないが一人生活に励んでおられ、仮設住宅の人々、訪問者へのお手伝いをされているなど話は尽きずこちらが励ましを頂いた。
 どの家にも心の慰めや実りを実感できる草花・ミニ野菜がプランターに植えられていたことは印象深い。
 勿論所用・勤めなど不在のお宅には祈りのうちに持参したセットを置かせていただいた。
 この日最後に会えた元海上保安勤務男性から情報を頂いた。
 この架設住宅は纏まりがあり、揉め事がなく恵まれている。要因は、もともとある程度近隣に住んでおられた方が約50パーセント強あることだと。
 日々の生活のなかで顔を合わせ他愛無い一言のかわしあいなど、住み慣れた環境の共有がこれほど大切であるかと実感していると話された。


8月22日水曜日、気仙沼の夜明け。

I will be paired with a sincere and reassuring Brother Sakamoto who belongs to Kirishima Christian Church in Miyazaki. He is a brother in Christ that could be with me last year, he was the most suitable person responding in me.
There was the experience that and it was a necessary matter in the public relations times of former financial institution to visit the new family to row of houses and was concerned with the practice education of subordinate in those days, but I was different in circumstances at all this time, and I would meet what kind of scene, or uneasiness and fear not a little lived together in my heart. I believed that the Lord was together while thought mixed what kind of words I should take by first roar or hello, and I was able to open with a screen door of the wind prevention before the entrance.

I knocked a door and “Hello! Excuse me. I come from the church. Could you have time to be able to see you a little?” I called over the door, and then pausing a little while, and a man past middle age opened the door.
We did simple self-introduction and offered the gifts of daily necessities of the bringing. When thank you in a few words although he showed embarrassment, he received them. As for him,
It was shown respect to us visitor from the Miyazaki prefecture and the Yamaguchi prefecture of the distance places.

We were visiting the next lodging, and we were called out to suddenly by a passing woman in her late 70s. “What is it distributed today?” When we introduced ourselves immediately and showed bringing products, “the rice had me enough,” she said, and she was accompanied my bringing to her lodging because it was hoped for the expendable supplies sets such as detergents. A circumference program long turn list was posted on her entrance. She accepted it willingly when I called out to her whether I might not ask about some stories.

“When an earthquake and a tsunami matched a husband with a grandmother, as for me, we barely got life, but we were not able to enter the public refuge. That’s why we evacuated to the house of the relative, as for us, there was not distribution of the immediate food such as rice balls for us and, besides, there was a trouble with relief workers of Japan Red Cross and was serious. And from such things, my husband had cerebral infarction from fatigue and stress after our temporary house entering soon, and he has died. And also, as for my grandmother, her chronic disease turned worse, and she has died without worth of curing hospitalization afterwards.” Furthermore as for her, the story of her including helping it to what oneself work hard at in her life, the care and help to temporary house residents and visitors, we encouraged by her adversely without running out.

It was impressive that the flowers which could realize comfort and crop of the heart in all houses, and mini-vegetables were planted in the planter box. Of course we put the relief set which we brought on prayer by business or a work in the absence’s house in the screen door.
A man of the former sea preservation duty that we came across gave the following information to us last on that day: The temporary houses of here have the unity of inhabitants and are endowed without trouble. The factor is because originally there are the people who lived in the neighborhood little over 50% to some extent. Of word that meet each other in daily life, and is silly exchange it, and realize that the environmental joint ownership that lived so long is such important.

It is the daybreak of Kesennuma on Wednesday, August 22.

きのういただいたトマトのお礼に草を取る。

I help with the weeding of the field for the thanks for tomatoes which I had yesterday.

 2日目は午前中祈りのセンターで開かれた教会の祈祷会に参加した。25日土曜日、市内の公園で開催予定のハワイフェスタの先発隊としてハワイから来られた3名の牧師も参加された。フェスタではウクレレ演奏によるフラダンスの特別賛美があるとのことだったが、祈祷会の中でもウクレレによる讃美をしていただいて、みんなで「み手の中で」、「アロハオエ」などを歌い、ボランテア活動の幅広さを感じた。地域・教会・性別・賜物・すべてに違いはあっても、主イエスキリストにあって一つであり、良き兄弟姉妹としての一体感を味わえることに感謝した。

We participated in the prayer meeting of church in the morning in a center of the prayer after two days of our stay. It was participated in three pastors who were able to come from Hawaii of the U.S.A. as an advance team in scheduled “Hawaii Festival” in the park of the city on Saturday, 25th. They planned the praise of hula by the ukulele performance in the Festival.
They did the praise by the ukulele performance in the prayer meeting that we participated in and we sang music of “In His Time” and “aloha-Oe” to the performance of the ukulele with all of us and I had a time when I felt area of the width of the volunteer activity.
It was one, and I thanked the thing that we were able to taste as good brothers and sisters in the Lord Jesus Christ even if different in country, region, church, gender, gift and all of them.

祈祷会の後、ウクレレ教室が始まった

After a prayer meeting, the ukulele lesson began.

 午後、初めて南三陸町一帯の被災地を訪ねた。
瓦礫等は昨年に比べ減少しているが目に見える復興再建はいつになるのだろうか、と胸が締め付けられる。
これは甚大な被害を受けた伊里前地区。

We visited the Minami-Sanriku-Cho town’s whole area for the first time in the afternoon.
The debris and so on decreased in comparison with last year, but as for me, I thought my chest was tightened when the visible revival rebuilding would be.
This is the Irimae district that suffered serious damage.

 南三陸町の防災対策庁舎。
町長さんが屋上の手すりにつかまってあやうく助かったところ。
また、町民に避難を呼びかけながら殉職された女性がいたところである。
たくさんのお花が捧げられていた。

This is the disaster prevention measures Government building of Minami-Sanriku-Cho.
It is the place where the town mayor of this town holding onto handrail of the roof at the time of the tsunami arrival and was nearly saved. In addition, this building in the place where there was the woman that it was died at its post while appealing to townspeople for refuge with a disaster prevention speaker.
Much floral at was given.

 南三陸町伊里前地区の仮設店舗。
東北特有の「やませ」が吹いて来て、急に涼しくなった。
店舗の中には、美味しそうな魚の切り身がならんでいた。
カットが大胆でいい。

This is a temporary store of the Irimae district in Minami-Sanriku-Cho.
When we came here, it blew “the Yamase” or northwest wind which is peculiar to the Tohoku area, and cooled down suddenly.
A lot of slices of the appetizing fish lined up in the store. The cut of the fish is good with boldness.

 気仙沼市本吉地区のJR気仙沼線。被災した時のままである。これからどうなるのだろうか。

This is the Kesennuma line of a Japan Rail Road (JR) of Motoyoshi district in Kesennuma city.
It remains at that time when it suffered from. How will about the railroad from now on?

 気仙沼の鹿折に行った。船の下のつぶれた自動車は何を物語るのだろうか。

We went to Shikaori of Kesennuma. What will the destroyed car under the ship show?

 気仙沼港には、漁船が入っていて、しかも宮崎県の日南市や南郷漁港の船が目立っていた。

Several fishing boats were in the port of Kesennuma, and ships of Miyazaki prefecture or Nichinan city or a port of Nango were outstanding.

 そしてこの日の夕食は、気仙沼第一聖書バプテスト教会の役員で、愛隣印刷所を経営しておられる阿部さんに夕食のご招待をいただき、美味しいごちそうをお腹いっぱいに、家族ぐるみでの温かいおもてなしをいただき、身も心も満たされ、心から主に感謝を捧げた。


 3日目ボランテア最終日、午前中は支援物資の袋詰め等の準備をした。

 そして午後、2回目の仮設住宅への訪問、このとき東京在住の嶺岸先生のお嬢さんが手伝って下さり、またこれまでも支援活動を支えて来られた地元の兄弟が賛助された。

And we had Abe which run the Airin printing company in the officers of the Kesennuma First Bible Church on that day invited supper in us. A lot of stomachs gave a delicious feast to us and received reception with his family and were met heart and soul and gave thanks the Lord heartily.
On the volunteer last day of the third day, we prepared for the bag filling of relief supplies in the morning.
And we went for the visited to the second time of temporary housing in the afternoon. A daughter of Pastor Minegishi resident in Tokyo helped us by this visit, and in addition the local brothers in the Lord were supported too.

 訪問をする中で、小中の子どもを抱えた30代のお母さんに会った。主人も地元で働けており他の人に比べ恵まれている。今後のことをお尋ねすると、いろいろ考えたい気持ちもあるが、今・今日を生活することが精一杯であり、今生活できていることが何よりもありがたい。一日一日の積み重ねがこれからの明日を築いてくれるのではと思い今を大切にしたい、と言っておられた。
 遠距離からの訪問に、このようにお話が出来たこと大変うれしいと素直な喜びを見せられ,傍を駆け抜けた男の子の元気な笑顔が印象的であった。
 最後に神様は思いがけない出会いを用意してくださった。少し開いたドアをノック、不在ではない。しばらく間おいて70代後半の婦人、訪問の目的をお伝えするなか、突然お上がりになりませんか。予想もしなかった言葉に一瞬戸惑ったが、思わず、いいですか?
 ありがとうございますと靴を脱いでいた。奥の部屋には義母(97歳)がベッドで休んでおられ軽い会釈にもかかわらず挨拶に答えてくださった。
 小さなリビングのテーブルに案内され、エアコンを入れられ麦茶と飴玉までいただく。
 心のこもったおもてなしに恐縮した。市内で大きなお寿司屋さんを経営されていたとのこと。お二人の生活でも収納スペースがない住宅での日々の生活の大変さが伝わってきた。
 ましてや先ほどの一家5人の家庭では、さぞかし大変であろうが口に出されなかった。
 思い出したくない過去の生活と厳しい現実とのハンデイを抱えながら耐えておられ、突然の訪問者への応対への心配りなど、忍耐と心の温かさは逆に多くのプレゼントを頂いてしまった。
 皆さん一生懸命耐え頑張っておられるのに、これ以上「頑張って」の呼びかけを軽はずみにしてはならないと実感した。チーム行動のなか予定時間をオーバーしての交わりの時であったが、何にも変えがたい時であった。ご無理のないようにお過ごしくださいとお別れの言葉に、ありがとうございましたお元気での声を背後にいただきながら退出した。
 被災地との遠距離や諸事情などがあり、何度も訪問できないものにとって、先の見えないこの厳しい現実を風化させないためにも、長期に亘って周囲の人たちに知らせ援助への協力と祈ることが責務ではと思わされた。
 各ペアのお話を帰路の車中で分かち合いながら、私たちの思いを越えて主の導きと介在があったことに感謝した。

We met mother in her 30s having a primary and a secondary student while we visited the temporary housing. “My husband works now in hometown here. There are people who do not work even if they want to work in a hometown. We may be still happy one when I think so.” She talked to us. And she told in this way that we asked her about the future. “There is the feeling that I want to think about various ways, but it is all could do to live a life on today at this moment now. As for us, we are thankful for that we can live above all now. I think that the accumulation of each day builds on tomorrow from and want to value now.”
She showed the joy that was obedient if very particularly glad that a conversation was possible with us whom we visited from a long distance.
The cheerful smile of the boy whom runs through by us who talked was impressive.

Finally God prepared for an unexpected encounter to me. I visited the next temporary lodge. Because the door of the entrance of the house opened a little, but there was not the answer though been not look like absent. Passing for a while, and a woman in her late 70s came out. When I told her the purpose of our visit, she suddenly said to us, “Will you come in? “ I do not think while being puzzled over her words that did not expect for an instant, “Thank you. Is it all right?” I said and took off shoes and entered her house. Her mother-in-law of 97 years old took a rest in a bed of the back room, and she answered with eyes when I did a light nod to her. I was guided in the seat of the table of the small living room. She switched on the air-conditioner for me and treated me to barley tea and candies.

I deeply appreciated her heartfelt hospitality. She ran a big sushi bar with her family in the city before the tsunami suffering, but importance of their daily life reached me pressingly because she lived a life in the small temporary lodge which there was not enough space of the storage with a mother-in-law now.

Besides of the thing which young mother did not start in a mouth at the lodge of five families like the point, I thought to be very serious to them. They live in endurance now while having past life and a handicap with severe reality that they do not want reminding.
What is more, we have had many presents when we regarded the warmth of the heart as their patience including the condition to the correspondence to the visitor like us.

I realized it they already endured it hard, and to do its best when we must no longer do calling them, “Try to make your best,” rashly. When, for a time of the fellowship with the old woman that it was over the planned time during the team action, it was hard to change into anything for me. “Please spend it be similar not to make any unreasonableness,” I said, and “Thank you very much,” I left her house while having her cheerful voice in the rear.

For me who a long distance includes it with the stricken area, and cannot visit there many times by various circumstances, but I think that we must not let weather these uncertain future of sever reality. To that end, I told neighboring people about the fact of the stricken area for a long term, and I was made think with cooperation to help when it was duty to pray.

We thanked for interposition having matched the guidance of the Lord more than our thought while sharing the story of this each pair of team in the car or in the train of the way home.

 最後に、6人のチームに若い奉仕者とバランスの取れた兄弟を当たえられたことに感謝しています。とりわけ佐藤先生のお孫さん原口 愛さん(中2)。若さと誠実な奉仕は爽やかさはマスコット的存在で元気を頂きました。また、これから教会成長へのキーマンとなられるであろう、宮崎大生の森澤さん。彼をしっかりフォローされていた木田先生。皆様、本当にお世話になり、ありがとうございました。

Finally, thank you for having been giving young servants and balanced brothers in the Lord, in the teams of six us. Especially, youth of Ai Haraguchi of the grandchild eighth grader of the Pastor Sato and her refreshing figure of faithful service and was a mascot-like person and had spirit among other things. And it will be that she becomes a key person to church growth in the future. Pastor Kida, thank you very much for your responding to Morisawa San of the Miyazaki university student well, and also you helped us in various ways.


(写真・編集、佐藤省三)

〔Photography and editing by Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami church〕
〔Written by Masaharu Okano, Representative of HagitaTokoyama church in Yamaguchi〕
〔Translated by Takanori Sasaki of JMF chair〕

仮設訪問2012年6月
“The temporary housing visit,” June 2012

震災救援コーディネーター 佐藤省三
JMF disaster relief assistance coordinator: Shozo Sato


前回の訪問から3ヶ月たち、6月上旬にJMFの働きの一環として被災地支援に行ってきました。
今回も気仙沼を拠点にし、まず愛隣印刷社を訪ねました。

Three months passed from the last our visit, and we went for affected area as a part of the action of JMF in the beginning of June.
We were based in Kesennuma city this time too, and at first we visited the Airin printing Company.

愛隣社の業績は順調に回復しているということで、新しい職員が入っていました。
すでに印刷の経験がある方で、キリスト教にも理解があり、気仙沼第一聖書バプテスト教会の礼拝にも出席しておられるとのことでした。

Business results of Airinsha printing company were able to recover smoothly, and the new staff entered this company. He was already printing with the experience, and there was understanding in Christianity, and he seemed to attend at worship of the Kesennuma First Bible Baptist Church now.

このおふたりは教会員で、印刷社の仕事を手伝っておられます。

These two people are members of church and they help with the work of the print company now.

私たちは阿部さんから夕食に招かれ、おいしい手巻き寿司をごちそうになりました。
そこでまた、いくつもの被災時のお話を伺うことが出来ました。
これは食事の最後にアイスクリームをいただいたところです。

We were invited to the supper by Mr. Abe of the president of print company and were treated with delicious temaki-zushi or hand-rolled sushi. We were able to hear some stories at the time of their suffering here. As for this photograph, we had ice cream in the last of the meal.

阿部さんのご家族は、先の大震災を忘れないために、そして震災の後いただいたたくさんの支援に感謝したいと、証し集「箱船の中の家族たち」を出版されました。
お孫さんの結子さんが自分で書かれたという証しが最初に載っていて、家族みんなそれぞれの立場で証しをし、そして最後は阿部さんの、次のような祈りで締めくくられてありました。


全世界の創造者にして全知であり、全能の主よ。尊いみ名を心から讃美いたします。
この度の震災は、あなたのみ手の中でなされたこととは言えあまりにも信じがたい、悲惨な出来事でした。
私の小さな計りではとうてい理解できないことです。
わが町、気仙沼でも千人を超える犠牲者があり、300人余りの行方不明者がいまだに見つかっておりません。
この災害での全体の犠牲者は15,800人を超えました。
この人たちは、一瞬のこととは言え、どんな思いで息をひきとったのでしょうか。
きっと苦しかったでしょう。家族のことを思い、きっと悔しかったでしょう。
主よ、どうかこの人たちの魂を鎮めてください。
ねんごろに労ってあげてください。
残された家族には、深い憐れみと、慰めをお与えください。
津波で家々が一瞬にして瓦礫の山と山になりました。
そこには、多くの人々の平和な暮らしがあったのです。
家が流され、破壊されながらも、難を逃れ生き延びても、今、不自由で不安な毎日を、歯を食いしばって生きています。
この惨状をご覧になり、一番心を痛め、嘆いておられるのは、主よ。あなたではないでしょうか。
・・・(続く)・・・

皆様にお勧めしたい一冊です。

Because of the family of Abe did not forget this great disaster, and it was published the collection of witness “Hakobune no nakano Kazoku or families of the Noah’s ark” with a feeling in gratitude for much support that people gave to them to most after great tsunami.
The witness that Yuki San of his grandchild wrote appeared in the first page of this collection, and all of the family witnessed it next in each situation and it was completed for the following “Prayer” of Mr. Abe finally.
【Oh, God. You are a Creator of the whole world, and the Almighty.
I will praise your name sincerely precious. Although it was made for your hand in, this time of the catastrophe was incredible tragedy too. I can’t possibly understand in my small scales.
There is the dead person more than 1,000 in my town Kesennuma, and more than 300 missing are not still discovered. The overall death toll in the catastrophe was more than 15,800 people.
As for these people, what kind of thought would they die in despite thing of instant?
Surely they would be hard. They thought of a family and surely would be annoyed. Please the Lord, please quiet the soul of these people. Please appreciate the pains these people have taken deeply. Please give a left family deep pity and comfort. Houses became a mountain and the heap of debris by a tsunami instantly. There was the peaceful living of many people there.
The grit teeth and live in every day that they escaped from a difficulty while houses are strolled around and are destroyed and survive and are inconvenient and uneasy now. Looking at this terrible sight, the Lord, wouldn’t you have lamented the hurt the most heart?…… ( to continue)……】
This is one book that I recommend to you everyone.

気仙沼の鹿折地区に行ってみました。
復興の槌音が響き、少しずつ前進しているのが伺えました。

We went to the Shikaori district of Kesennuma. Activity of construction work of revival sounded and was able to see and ask about advancing little by little there.

鹿折地区のような地盤沈下したところは、国や県が、個人の土地や事業所のかさ上げ工事をすることになっているのだそうですが、あまりに遅いので、資金のある事業所は下の写真のように自分でかさ上げ工事をし、事業の再開を目指しているのだそうです。道路よりもだいぶ高くかさ上げが行われています。

In the place where it sank such as the Shiakori district, a state and a prefecture are to construct the padding of land and the establishment owned by an individual, but they construct padding like a lower photograph in being late too much by oneself in the establishment which is of the fund and seem to aim at the reopening of the business.
Padding is carried out more quite than a road highly.

今回同行した、大分教会の佐々木先生。

It is the Sasaki clergyman of the Oita church which went together this time.

何度も登場したこの船は、震災の記念として遺されます。

This ship coming up many times seems to be left as memory of the great disaster.

船の下の方に小さな祭壇(?)のようなものが出来ていました。
被災者を悼むための花が飾られているのでしょう。

Something like alter is made by the person under this ship. Some flowers to the memory of victims are displayed in a thing of front of it.

そこに、こんなものがありました。
「イエス・キリストは光です」
日本中、世界中のキリスト教会から支援がおこなわれましたので、こういうものがあってもしっくりきます。

There is such a thing there. “Jesus Christ is light.” Because relief support was carried out from the Christian churches of all country and the world, it is what or comes nicely even if there is such a thing.

さて、今回の支援活動のために準備をするところは、もと気仙沼第一教会があったところです。
そこに「祈りのセンター」ができたのは前回の訪問の時にお知らせしました。

By the way, the place that we prepared for this support activity had former Kesennuma First Bible Church. I informed that “a center of the prayer” was able to do it there at the time of our last visit.

そこに新しく「支援センター」ができたのです。
私たちが現地に行っていた6月5日の午前中、設置工事が始まりました。

“A support center” was made new there. The setting construction began by end of the morning of June 5 when we went to the local place.

もともとここには教会堂と牧師館があり、その基礎部分はそのまま残っていますので、その上に設置します。

Originally here was a church building and a parsonage, and the basic part installed it in the top because it just stayed.

トラックに積んで持って来た資材を大きなクレーンでつり下げ、指定した場所に起きます。
ほんとうに「組み立て細工」の感じで、あれよあれよ、という間に組上がっていきました。

They hang the prefab house material which has been carried by a truck with a big crane from a truck, and they take it down and put it in the appointed place. Before anyone knew what was going on, with an aspect of “the assembling work,” it was really built.

クレーン車と資材が届いてから2時間半くらいだったでしょうか。
「支援センター」が完成です。

A crane truck and material arrived, and “the support center” was completed for approximately two and a half hours.

今まで、「祈りのセンター」に置いてあった支援物資を「支援センター」に引越しました。
聖書、トラクト、パンフレット、いろいろなサイズの袋、お菓子やスパゲティーや石鹸、お米等、たくさんの物資がありました。

We moved the support supplies which putting in “the center of a prayer” so far in “the support center.” There were many relief supplies such as the Bible, tract, pamphlet, bag, cake, spaghetti, soap including rice.

そして、JMFからの支援物資を買いました。
これは家庭用の洗剤100個です。

And we bought support supplies for money of support from JMF. There are 100 home detergents.

つぎに、近くのお店に行き、お米を300キロ買いました。

We went to the store nearby next, and we bought rice 300kg.

お米は宮城県産の「ひとめぼれ」です。
おいしいお米ですよ。

The brand of rice is “Hitomebore” from Miyagi prefecture. It is delicious rice.

買って来たものは配布用にセットします。
佐々木先生がお米を3キロずつ袋に入れているところです。

We subdivide the rice which we bought for distribution. Pastor Sasaki is bagging up rice by three kilo.

ひとつの袋にお米3キロとパンフレット、もうひとつに洗剤とかお菓子、トイレットペーパー、スパゲティー等を入れ、一軒のお宅にふたつの袋を用意するのです。

We prepared two bags in one house putting three kilo rice and a pamphlet of church news for one bag, and putting a detergent, candies, toilet paper and spaghetti for another bag.

用意ができたものをレンタカーに積んで、いざ出発。

We load the relief sets which we were able to prepare onto a rent-a-car and Okay we leave.

今回は、気仙沼市のやや南にある、松岩中学校校庭にある仮設住宅を訪問しました。

We visited the temporary housing in school grounds of Matsuiwa Junior High school located the south a little of the Kesennuma city this time.

ここには83戸の仮設住宅が設置されています。

83 temporary houses are established here.

訪問しているところです。
私たちを喜んで迎え、震災時のことや、今困っていること等を話してくださる方がありました。
キリスト教会に対しても好意的な方が多く、教会の支援活動が評価されていると感じました。

We are visiting it. They meet us with pleasure, and there is the person who talks about thing at the time of the disaster and being troubled now. When the support activity of the church was evaluated, a lot of favorable one felt me for the church.

佐々木先生が訪問しているところです。

Pastor Sasaki is visiting it now.

訪問が一区切りついていただいたのは、「気仙沼ラーメン」でした。
どんぶりの左側に、サンマのすり身が入っていて、やや薄味でとてもおいしかったです。

We ate “Kesennuma Ramen noodle” at the small restaurant when we had come to the end of the first stage. “Surimi” or grinding a fish of the Pacific saury was in the left side of the bowl of Ramen too and I was very delicious for smart haze and light seasoning.

これは私たちが泊まった、気仙沼駅近くの「宝屋旅館」です。
ボランティアです。と言ったら、一泊3,500円にしてくださいました。

This is the Takaraya ryokan, a Japanese- style inn, close to Kesennuma Station where we stayed at. It was assumed that I said that we came to here by a volunteer, and a master of the hotel made 3,500 yen in a night.

気仙沼市本郷地区の、南気仙沼小学校です。

This is Minami Kesennuma Elementary School in the Hongo, Kesennuma.

2階まで津波が押し寄せ、廃校になりました。

A tsunami flocked to the second floor of this school, and the inside destroyed it and it was closed down.

運動場に積み上げられたガレキ。
佐々木先生は、「これを見ると胸が痛む」と言っていました。

A lot of debris is piled up on the school ground. He said that his heart ached when Pastor Sasaki watched this scene.

水曜日の午前中、気仙沼第一教会の祈祷会がありましたので、それに出席しました。

During the morning of Wednesday, there was the prayer meeting of the Kesennuma First Bible Baptist Church, and we attended at it.

左側の男性は石田さんといい、震災後求道された方で、新聞配達のお仕事をしておられます。
私たちのお手伝いもしてくださいました。

The man on the lower photograph left side is Mr. Ishida, who is seeking truth in Christianity after an earthquake disaster, and he does the work of the paper round now. He helped with our relief set distribution.

気仙沼を見下ろす高台に行きました。

We went to the hill which looked down at the Kesennuma city. Pastor Sasaki is on the picture.

水曜日の午後、気仙沼市民会館で「ワトト・クワイヤーコンサート」が開かれるということで、突然でしたがお手伝いをすることにしました。
「ワトト」とは、スワヒリ語で「子どもたち」を意味し、ウガンダから来ている子どもたちのコンサートです。
ウガンダでは長く内戦が続き、たくさんの子どもたちが親を亡くしました。
さらにエイズが大流行し、国内にエイズ孤児が200万人もいるのだそうです。
そのような子どもたちを北米の教会が支援して「ワトト村」というのを作り、そこでウガンダの未来を担う子どもたちを育てているのです。

We are sudden, but will do the help that “Watoto Children’s Choir” is held in Kesennuma Civic Center on the afternoon of Wednesday. “Watoto” means “children” in Swahili and is the concert of children from Uganda, Africa. A civic war continued for a long time in Uganda, and many children lost their parents. Furthermore, AIDS is raging, and there seem to be 2 million AIDS orphans in Uganda. A North America churches support such children and make “Watoto village” and bring up children carrying the Ugandan future threre.


市民会館で、4月から現地に滞在しておられる下関の佐古さんと会い、いっしょにスタッフとして奉仕しました。

We met Brother Sako of the Shimonoseki church of BIC which is staying in the local field and works on relief support in a Civic Center, and we served it as the staff members with him.

4時からスタッフのミーティング。
取り仕切るのは、サマリタン・パースという支援団体のリーダーで小川さんという方です。
何度もお会いしたことがあります。

A staff meeting begins at 4:00. It is Mr. Ogawa of the leader of relief support group “Samaritan’s Purse” to manage this meeting. I have met him many times.

ミーティングのとき、ワトトの子どもたちもいっしょになり、手をつないでお祈りをしました。
連日、被災地を訪問してのコンサートが続いているからでしょうか。
子どもたちは、やや疲れがあるように思われました。

At the time of meeting, we prayed with children of Watoto hand in hand. As for children, there seemed to be fatigue a little probably became their concert that they visited the affected areas day after day continued.

しかしコンサートでは、とても元気のいい歌、ダンスを披露してくれました。
座席は1200席ですが、700人は来ていたと思います。

However, in the concert, they showed a very cheerful songs and dances. The seat of the concert hall was 1,200 seats, but I think that about 700 people came.

そのうち客席もいっしょに踊りながら歌うコーナーがあり、佐々木先生はいっしょに踊っていました。
(さすがに、若い・・・)

There was the corner that sang while the audience danced together soon, and Pastor Sasaki danced it together. (He is indeed young ……!)

お客さんたちもこんな具合に踊り、楽しいコンサートとなりました。
ワトトコンサートは、九州では6月29日に大分にも来るそうで、佐々木先生は喜んでいました。

Some audience stood up to their performance, too and danced. It was really pleasant concert. This concert seemed to come to Oita city in Kyushu on June 29, and Pastor Sasaki was pleased.

私たちは帰りに、福島第一聖書バプテスト教会の佐藤彰先生を訪ねました。
ご承知のように、福島第一聖書バプテスト教会は、あの原発から5キロしか離れていない大熊町にあり、去年の3月12日早朝、突然避難命令が出、それ以来教会員とともに、各地を転々としてこられた教会です。
今年の3月末に、それまでおられた東京都奥多摩からいわき市に引越し、新しい出発をしようとしておられます。
この写真は、福島第一聖書バプテスト教会のホームページからいただいたもので、この会堂は2008年に完成したばかりだったそうですが、今は放射能のために近づくことが出来ません。

We visited Pastor Sato of the Fukushima First Bible Baptist Church to return. As you know, this church was in the Okuma town of Fukushima prefecture which was only 5 kilos away from the nuclear power plant which there was of the nuclear plant accident. And, on the early morning of March 12, last year, an evacuation order was given suddenly and thereafter, in this church, was wondered each place from place to place with a pastor family and members of church family. They moved in Iwaki city of Fukushima prefecture, from Okutama city of Tokyo where they stayed till then in March of this year.


This photograph reprinted in from the homepage or website of the Fukushima First Bible Baptist church. This church building seemed to be just completed in 2008. But nobody can approach because of radioactivity.

この建物は、いわき市に新しく作られた、高齢の信徒のためのアパートです。
この一室に教会の事務所もありました。

This building is an apartment for Christian believers of elderly people made newly in Iwaki city. There is the office of the church in this one room, too.

入居者の皆さんと記念撮影。
大分出身の方がおられ、佐々木先生と話が弾んでいました。
佐藤彰先生の奥様(前列左)は、宮崎県高城町の出身です。

This is a souvenir picture with residents. There is Oita prefecture native place in a resident, and Pastor Sasaki makes a talk excite with the person. The photograph front row left is the wife of Pastor Akira Sato, and she is from Takajo town of Miyazaki prefecture.

佐藤彰先生が、新しく会堂が出来る場所に案内してくださいました。
「私たちは、大熊町の方を向いて、鳥が羽ばたくような形の教会堂を建てます」
と言っておられました。

Pastor Akira Sato guided us in the place where there was a church building newly from now on. “We intend to build a church building of the form that it goes towards the Okuma town of the hometown, and a bird flaps the wings,” he said.

600坪以上ある広い土地で、今年の10月には完成させたいとのことです。

They seem to want to complete a church building here in a certain large land more than 600 tsubos or 1980 in October in this year.

福島第一教会の副牧師、佐藤将司先生です。いわき来て仮設住宅に入られましたが、先生が書いておられるブログの中に、
「1年数ヶ月ぶりに家内の手料理を食べた。とてもうれしかった。」
と言うようなことが書いてありました。
「私たちは料理を忘れました」
という女性もいたとか・・・。
これまでの「キャンプ」のような共同生活がどのようなものだったか・・・考えさせられました。

This is Curate or vice pastor Masashi Sato of Fukushima First Bible Baptist Church. In a thing the blog which he came to the Iwaki city, and was able to enter the temporary house, but he wrote like this. ”I was able to eat the home cooking of my wife for a swing for one year several months. I was very pleased.”  In addition, “We forgot a home-cooked meal”, the thing of the woman who said was written. What kind of thing was cohabitation such as this “camping”? ……I was made to think.

左の母子は、佐藤将司先生の奥様と子どもさん。
いわき市は比較的放射能の線量が少ない方ですが、佐藤彰先生の話だと、関係者の子どもたちの中に、鼻血の止まらない子、甲状腺に異常のある子がいた、ということで、放射能問題の深刻さを感じさせられました。

The photograph left is vice pastor Sato’s wife and her child. Iwaki city is with a few comparative radiation doses in Fukushima prefecture. According to the story of Pastor Sato, there seemed to be the child would not stop a nosebleed or the child with abnormal thyroid in children of the party concerned. I was made to feel acuteness of the issue of radioactivity to hear this story.

常磐線泉駅から帰る前に、佐藤彰先生からおそばをごちそうになりました。
飛び込みで入りましたが、おいしかったです。
いろいろとお世話になりました。

We had Pastor Akira Sato treat to Soba noodle before returning from Izumi Station of the JR Joban line by a train. It was the restaurant which became available by bursting, but it was delicious. We were taken care of in various ways by Pastor Sato.

思いがけない出会いあり、ハプニングもありの東北訪問でしたが、たくさんの課題も与えられ、主の導きを強く感じた旅となりました。私たちの訪問のために祈ってくださった方々にも感謝します。

There was an unexpected encounter and was the Tohoku district visiting that there was an incident in, but I was given the trip that strongly felt the guidance of the Lord.
Thank you very much who prayed for our visit to the affected area of Tohoku.

 

〔Written by Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami Church〕
〔Translated by Tkanori Sasaki of JMF chair〕

あれから一年

震災救援コーディネーター 佐藤省三
JMF disaster relief assistance coordinator: Shozo Sato

2011年3月11日、有史以来と言われる大震災が東北地方を襲いました。
その直後からJMFも体勢を整え、いろいろな形で被災者や被災教会を支援してきましたが、1年を経過した今年3月に被災地を訪れ、ボランティアでお手伝いをさせていただいた所や、今までに訪問した地域を再び訪ね、復旧・復興が実際にはどのように進んでいるのかを、見てきました。

この3枚の写真は、気仙沼市鹿折(ししおり)地区に打ち上げられた大型漁船です。
これは昨年4月のもので、警察や自衛隊による遺体の捜索が行われていて、ガレキの処理などは全く手がつけられていません。至る所に進入禁止の立て看板が立ち、一般の人が立ち入らないようガードマンが規制をしていました。


On March 11, 2011, the biggest earthquake that was said to be since the dawn of history struck the Tohoku (Northeast) region of Japan.
We also established a system that immediately after disaster Japan Mennonite Fellowship (JMF) has been helping churches and disaster victims in various forms.
We visited the disaster area in March this year, one year after the earthquake, and we visited the places where we worked as volunteers and visited region where we inspected until now again whether we have seen how willingly recovery and reconstruction.

These three pictures are large fishing boat which was washed up on the coast of Kesennuma-Shishiori district by the tsunami. These photos are for April of last year. By that time it has been done in preference to that search for a body of victims of police and removal of debris, such as has not been done at all. Standing fresh signs prohibiting or off-limits to traffic- everywhere, security guards had been regulated as common people do not enter.

現在は、陸に打ち上げられたたくさんの漁船は海に戻されたり、あるいは解体されたりしましたが、この船は震災の記念として気仙沼市によって保存されることになるそうです。
周囲はすっかり片付けられ、地盤沈下もしていますので道路は「かさ上げ」され、電柱が立てられ、写真の左側にあるように、プレハプのお店が営業を始めていました。

Currently a lot of fishing boats were washed up on the land is returned to the sea, or they were dismantled by the experts, but this ship of this photo is likely that would be saved by Kesennuma city as a memorial of the earthquake and tsunami.
The around of this ship are completely put away, and the road around here sank because of an earthquake which was raised, erected electricity poles, and to be visible to the left of the picture, the panelized shops had started operating.

ちょうど1年目の3月11日は、このようにライトアップされました。
たしかに、ここには観光客がたくさん来ています。
しかしライトアップには、この船が流れてきて家を壊されたこの地域の住民から、「見せ物にするのはやめてくれ」と抗議があったそうです。ここまでする必要があるか、住民の方々のお気持ちはよくわかります。

March 11 of the first year, the illumination has been just light up like this. Here are getting a lot of tourists now.
But there was a protest is to light up from the residents of this area that was destroyed the houses in this boat has been washed away this ship. "Don't be spectacle, this ship." And consider whether it is necessary to so far, I feel is best understood by residents.

ここは、気仙沼市の南部、最知にある「気仙沼第一聖書バプテスト教会」のあったところです。
私たちが昨年4月に訪れたときは一面のガレキで、ここにあった教会堂と牧師館の基礎部分と、礼拝堂の床が一部残っていました

This is where there was "Kesennuma First Bible Baptist Church" of Saichi in the southern of the city Kesennuma.
When we visited in April last year, there was a rubble face around here, and there were only left here at the base of the church and parsonage, and the part of the floor of the chapel.

立てられている十字架は、ガレキを片付けにきた東京基督教大学の学生ボランティアが、流木を組み立てて作ったものです。
そして、その時の光景を撮った写真が朝日新聞の第一面に載りました。(朝日新聞から転載)

Cross has erected is made from driftwood assembled by volunteers of Tokyo Christian University students came to pick up the rubbles.
The sight of the photo was taken at that time that was published in the front page of the Asahi Shimbun (Reprinted from the Asahi Shimbun News Paper).

現在は、ガレキはきれいに撤去され、プレハブの家が建っていました。
ただこの地域は、建物を作るのは構わないが、そこに居住することはできないのだそうです。
従って、電気も水道もきていません。
左側にある簡易トイレは、他から水を持ってきて使うようになっています。
右側の「箱」は支援物資を保管するための保冷車の車体部分です。

Recently, rubble is removed away cleanly and a small panelized house was built there.
You can just build your house or something in this area, but it is not possible to live there. Therefore, it does not have electricity and running water.
Portable toilets on the left side are required to use water brought from the other.
"Box" on the right is the cold storage of the part of the car body for storing relief supplies.

気仙沼第一聖書バプテスト教会の嶺岸浩先生は、ここを「祈りのセンター」として使いたい、気仙沼の祈りのセンター、宮城の祈りのセンター、東北の祈りのセンター、日本の、アジアの、そして世界の祈りのセンターにしたい、と熱く語っておられました。

Pastor Hiroshi Minegishi of Kesennuma First Bible Baptist Church is so used as "Center of Prayer" here. And he told enthusiastically he would like to be the center of the prayer of Kesennuma, the prayer of Miyagi, the prayer of Tohoku, Japan's, Asia's, and also the center of the prayer of the world.

この教会は被災はしましたが、神様の祝福をいただき、この地域で大切な働きをしておられます。
まずは、被災者に支援物資を届ける働き。それに全国から、また世界中から来るボランティアたちといっしょに、被災者を励ますためのいろいろな催し物をおこないました。
これは、昨年市民会館を借りて行ったクリスマス会の時、奉仕したスタッフ全員の記念写真です。
嶺岸先生は、「私たちは津波で会堂を流されましたが、今、神様の祝福が津波のように押し寄せています。感謝です」と話していました。

This church was damaged, but they have important work in this area received a blessing God.
At first they worked the deliver the relief aid to the affected people with us, and they worked for a variety of entertainment along with volunteers from all over the country and also from all over the world also encourage victims to it.
This is a commemorative photo of all the service staff members, when they had a Christmas party in the Civic Center last year.
He said, "Our church was carried away by the tsunami, but now, God's blessing is surging like tsunami. Thanks, God."

これは、3月11日に合わせて来日した、アメリカの著名なジャーナリスト、フィリップ・ヤンシー先生が、気仙沼第一教会で講演をされたときの写真です。

This is a picture of when the prominent American journalist, Philip Yancey who came to Japan in accordance with the March 11, he has been the lecture at the Kesennuma First Church.

次の写真は、今年の3月、祈りのセンターで、仮設住宅居住者のために食料品の配布準備をしているところです。

Next photo in March of this year was preparing for the distribution food products for residents of temporary housing in the center of the prayer.

今回は、気仙沼市営野球場に建てられた仮設住宅に配布しました。
正面に見えるのは、試合に使うスコアボードです。
この球場を使っていた少年たちや学生たちもいたでしょうに、残念ですね。

This time, we distributed relief supplies to the residents of temporary housing which was built in the municipal baseball field Kesennuma.
You can see in front of the scoreboard is to use a baseball game.
It would also have boys and students who have used this stadium. It's too bad.

配布した後、記念撮影。嶺岸先生夫妻と私たちです。

This is a picture of pastor Minegishi and his wife and a couple of us after distributing relief supplies.

1年前と現在の気仙沼市南町の様子です。

It is the state of the Minami-Machi in Kesennuma city, previous and current year.

1年前、私はここの写真では空き地になっているところに立っていたお宅のボランティアに来ました。
仕事は泥かきでした。
今ここには、2階建ての仮設商店街が出来ています。

A year ago, I came here as a volunteer at the house stood vacant lot in this photo. My work at that time was raking out the mud.
Here is a temporary two-story shopping mall now.

ちょうど大売り出しのため、楽団が来ていました。
楽団は、クラリネット、サキソフォーン、アコーディオン、太鼓、それにヴァイオリンという不思議な組み合わせでした。

The music band for the big sale was just coming.
Mini orchestra was a strange combination of clarinet, saxophone, accordion, drum, and violin.

私たちがそこでいただいた「まぐろ丼」です。
おいしかったです。
1年前気仙沼では、コンビニがようやく営業を始めたというくらいで、食べる物が偏ってしまいました。
気仙沼港では魚の水揚げが始まり、おいしいマグロやサンマをいただくことが出来ます。

This is the "Tuna Bowl" we ate there. It was delicious.
A year ago, convenience stores just began to open, and there were not so many kinds of food.
It also begins landing of fish at the port of Kesennuma, you can eat delicious tuna and pacific pike.

お昼に、東京から来ていたチームといっしょになり、上のおいしいマグロ丼をいただきました。
彼らは岩手県の大槌町や陸前高田を回ってきたということでした。

For lunch, we had the delicious bowls of tuna with the volunteer team from Tokyo. They said that have been around the disaster areas of Oduchi and Rikuzen-Takada in Iwate prefecture as a volunteer worker.

私たちがたびたび訪れている気仙沼第一教会の役員に、阿部さんがおられます(あいりん社物語をご覧ください)。
そのお孫さんが通っていたのは、南気仙沼小学校ですが、そこは津波のため廃校になる、ということでした。
そのためでしょうか、校庭は被災した車の置場になっています。

Mr. Abe is an officer of Kesennuma First Bible Church that we have visited often. (See the Story of Airin-Sha of this website)
Minami Kesennuma Elementary School will be closed which his grandson was attending, because of destroying in the tsunami.
Or so, schoolyard has become Luggage remnant of affected cars.

南気仙沼小学校の生徒たちは、1キロ以上離れた気仙沼小学校に行くことになりましたが、その途中に「大川」があり、津波が襲った、土地の低い南気仙沼地区があるので、反対側にある2キロほど離れた高台にある九条小学校に転校する子どもがたくさんいるそうです。

These elementary school students must attend another elementary school one kilometer away. There is a river "Okawa" on the way to Kesennuma Elementary School. Minami Kesennuma districts are located near the river in this area, most children must be transferred to Kyujo Elementary School on the hill two kilometers away because difficult for the residents of the land is low ground.

続いて、1年前と現在の写真をご覧ください。
ボランティアで訪ねた気仙沼市南郷地区の震災直後の写真です。
私たちは正面の家の泥かきと家具の処分をしました。
小さな川が流れていますが、そこがガレキで埋まっていました。
冷凍サンマやイカが流れ着き、腐って凄い匂いがし、ハエが大発生していました。

Then, please refer to the previous year and current photos.
This is a picture of immediately after the disaster of the Nango district, Kesennuma city we visited as volunteers.
We had disposal of mud and carried out of the furniture appearing the front of the house.
Although a small river flows now, previous had been filled with rubble there.
There were saury and squid have frozen flowed, and their smell is amazing and flies had occurred largely.

今は、全部片付けられ、匂いもしません。そして家もなくなっていました。

All are cleaned up now, it does not smell terrible. And also that house was gone.

すぐそばにある橋のたもとに、タンクローリーと家が流れ着いていました。

Near the foot of bridge, a tank truck and a house had been flowing.

川の中にも別なタンクローリーが転がっていましたが、今はすっかりきれいになっています。

That had been another tank truck lying in the river, but is now completely clean.

昨年7月、気仙沼市大浦地区の畑にボランティアに行きました。
畑、と言っても津波でドブドブになった田んぼのようなところです。
そこにガレキが山のように流れ着いていました。
それを全部、手作業で運び出すのです。

We went to volunteer in the district of Oura, Kesennuma city in July last year. There was a muddy rice field by tsunami.
The rubbles drifted in the muddy rice paddy piled like a mountain. We all had to be carried away them by manually.

20人くらいで一日片付けをしましたが、とても大変で、一日ではぜんぜん終わりませんでした。

We carried out cleaning up the rubble in about 20 people of us on that day, but it was impossible to finish our work one day because it was very hard work.

今は、ガレキは跡形もなくなり、整地され、新しい土が入っていました。

Now it's no longer a trace of rubble, and the rice fields are leveled, and new soil was contained.

昨年8月、JMFとしては最大の14人のチームが結成されました。
派遣された所は、同じく大浦地区の、ある「網元」のお宅でした。
津波に流されグチャグチャになった「マグロ網」をほぐす仕事です。
みんなよくがんばりました。

Last August, we JMF formed the team of up 14 people so far.
We were sent to a home of "AMIMOTO or a fishery management who owns the fishing nets and the fishing boat" in the same Oura district.
Our work was to relieve the "tuna nets" which were tangled in the mess shed by the tsunami. Everyone tried to do as well as they can.

今は、何も無くなっていて、更地になっています。
上の写真で見える、網元さんの立派な邸宅は土台だけが残っていて、ここで大きな災害があったことを物語っています。

Here is now no longer anything more, that has become a vacant lot.
"AMIMOTO San" whose magnificent mansion visible in the photo above is the only foundation that remains, which tells us that was a great disaster here.

8月のチームは、岩手県陸前高田市にもボランティアに行きました。
この田んぼの中に流れ込んでいたガレキを拾い集めましたが、今は客土がしてあり、これからは畑として使うのでしょうか。田んぼは津波に遭うと、「塩害」を受けます。

Our team of August went to Rikuzen Takada in the Iwate prefecture, too.
We picked up the rubble which had been flowing into the rice fields here, but they have been soil dressing now. When the rice fields caught in a tsunami, they were "damaged by seawater".

これも昨年の8月のチームで陸前高田に行った時の写真ですが、海岸の堤防が壊れているのが見え、休み時間にみんなで見に行きました。

This is a picture of when we went to Rikuzen Takada with our team in August of last year, too. You will see broken levee on the coast. We all went to see that levee during a break at that time.

堤防はまだ壊れたままになっていましたが、大きな土のうが積み上げられていて、一応、応急処置をしてある、ということでしょう。
気象庁の発表によれば、大震災の後、体感地震(震度1以上)が全国で1万回を越え、前年の7.4倍に増えたそうです。
特に宮城、福島、そして茨城で、震度5以上の大きな余震が起きていて、また大きな地震が来るのではないかという不安が広がっています。

Although its dike had broken remains, large sandbags piled there, there was then temporary emergency measure.
According to the announcement of the Meteorological Agency, the earthquake experience (more than a seismic intensity) is greater than 10,000 times in the nation, and is increased to 7.4 times the total of the previous year. Both Miyagi and Fukushima prefectures are remarkable in particular, and the aftershocks have occurred in the prefecture of Ibaraki and intensity more than five.
Anxiety has spread that it is also big earthquake is coming among the people such a thing.

これは陸前高田市にあった、国の名勝にも指定されていた「高田松原」で、数万本の松のうち、一本だけ残った松です。
「ど根性松」とも呼ばれ、震災からの復興のシンボルとなっていました。

This is the only one remaining pine tree out of tens of thousands of pine. And other pine trees had been swept away all in the tsunami. This pine forest had been designated as a national scenic spots called "Takada Matsubara". This remaining pine tree is also known as "dokonjo matsu" (pine tree with fighting spirit) by people which has become a symbol of recovery from the disaster.

ところが、ここも地盤沈下が起きていて、まわりを海水に囲まれ、ついに枯れてしまいました。
残念です。
しかし、この松の枝から取られた小さな苗木が大切に育てられていて、いつの日にか「高田松原」を復活させよう、という運動が続けられています。

However, the land subsidence has occurred again, the pine tree was finally withered because it was surrounded by seawater around. It is regrettable.
Fortunately, the small seedlings taken from this pine tree have been carefully nurtured. Without realizing it, reviving movement of the "Takada Matsubara or Takada Pine Groves" is continuing among the people of Rikuzen Takada city.

私たちは岩手県の大槌町まで行ってきました。
ここは町役場で、あの日、津波と火災のため、ここにいた町長さんを始めたくさんの役場の職員が亡くなりました。
しかも、震災後3日間、まったく外部との連絡が取れなかったのだそうです。

We went to the town of Oduchi, Iwate prefecture. This is the town hall.
On that day, mayor and many office staffs working here has been died in the tsunami and fire. Moreover, they seemed to have not any contact with outside at all three days after the earthquake.

今も、たくさんの人がここを訪れ、お花を捧げています。

A lot of people visit this place even now, they dedicated flowers.

火災の跡が今もなまなましく残る大槌町の墓地周辺。

Around the cemetery of the town Oduchi still remain vividly traces of fire.

大槌町に大きな「絵」がありました。

There is a large "picture" on the wall of a building in the town of Oduchi.

「ありがとう」のことばと、手前に「祈広場」と書いてあるのが見えます。
被災者の方々に、主の慰めがあるよう、私たちも祈りました。

You can see the words "Thank you." and also "Square of Prayer" in the front of the picture. We prayed as may have a consolation of the Lord for the victims too.

大槌小学校のそばにある小さな丘。
震災の時、ここに逃れて助かった人が何人もおられるのだそうです。
正面に見える木はいちょうで、火で焼けていますが、去年の秋来た時には上の方の枝にギンナンの実がたくさんなっていました。この木はまだ、生きているんです。

There is a small hill near the elementary school of Oduchi.
When tsunami came rushing, so that is also, how many people have survived fled to this hill. You can see a ginkgo tree in the front. This tree has some traces of burnt with fire, but when we came here last summer the fruit of ginkgo had a lot on the top of the branch. This tree is still alive.

陸前高田市で、避難所に指定されていた市民体育館。
ここに逃げ込んだ人たちが、天井近くまであふれた津波によって亡くなられました。
この写真は昨年6月のものです。当時は立入りが規制されていて、近づくことも出来ませんでした。

City gymnasium had been given to the city shelter of Rikuzen Takada.
Those who fled here were killed by the tsunami spilled close to the ceiling.
This photo is in June of last year. At that time, so we could not even approach has been regulatory limits.

今、体育館の周囲は、少しは片付けられています。

Around the gymnasium has been cleaned up a little now.

ここにも、たくさんのお花。

A lot of flowers are here as well.

初めて中に入りましたが、中は、被災したときのままでした。
宮城県は復旧復興が比較的進んでいると思われますが、岩手県はまだまだです。
私たちは気仙沼ボランティアセンター、及び陸前高田ボランティアセンターとタイアップしてボランティアをしてきましたが、先日陸前高田ボランティアセンターからお礼状とともに、これからもボランティアを送ってください、というお願いの手紙が来ていました。

Although we went into for the first time, inside is still in time were affected.
Miyagi Prefecture may seem that the recovery and reconstruction is relatively advanced, but Iwate Prefecture still does not proceed.
We have been volunteer activities to tie-up with Kesennuma Volunteer Center and Rikuzen Takada Volunteer Center.
The other day, we received a letter of thanks from Rikzen Takada Volunteer Center, and also we got a letter about asking to send volunteers with future.

最後に、一関近くの、川崎というところにある、北上河原の写真をご覧ください。
北上川は東北地方を南北に、縦に割るようにして流れています。
河原で白鷺の親子が羽を休めていました。

Finally, this is a picture of the riverside of Kitakami River in Kawasaki near Ichinoseki. Kitakami River is flowing and then divided vertically from north to south as Tohoku region of Japan. Parent – child egret were resting their feathers in the riverside.

わたしが写真を撮っていると子どもたちが近づいてきました。
子ども・・「おじちゃん、何してんの?」
わたし・・「写真撮ってんだよ」
子ども・・「大きな川でしょう」
わたし・・「大きいね」
子ども・・「北上川って言うんだよ」
わたし・・「そうかぁ、これが北上川かぁ」
子ども・・「おじちゃんどこから来たの?」
わたし・・「宮崎だよ」
子ども・・「え〜。宮崎ってどこにあるの?」
わたし・・「どこかわかるかな?」
おねえちゃん・・「わかった、九州でしょう」
わたし・・「当ったりぃ〜」
子ども・・「そんな遠い所から、何しに来たの?」
わたし・・「ボランティアだよ」
子どもたち・・「そう、ありがとう」、「ありがとう」、「ありがとう」

子どもたちのことばに、被災地の現実に押しつぶされそうになっていたわたしは、本当に癒される思いがしました。
震災は、悲しい、つらいきびしい出来事でしたが、それでもその中で前向きに生きておられるたくさんの方に会いました。
このような、心優しい素晴らしい人たちとの出会いを通して、生きていく元気をいただいたことも事実です。
また、国内外のたくさんの方々の祈りと支援をいただいて、ボランティアに来させていただいたことも感謝です。
このような素晴らしい出会いを用意してくださった神様に、心から感謝します。

While I was taking pictures, the children were approaching.
Child: "Ojichan (Mister), What're you doing now?",
Me: "Take pictures."
Child: "A big river, isn't it?"
Me: "It's big."
Child: "It's Kitakami River."
Me: "Oh, I see. This is Kitakami River.
Child: "Ojichan, where're you come from?
Me. "From Miyazaki."
Child: "Eh~, Where is the Miyazaki?"
Me: "Do you know where?"
Sister: "I got it. Is it Kyushu?"
Me: "Guess right."
Child: "Such far away. Why did you come here?
Me: "As a volunteer."
Children: "Is that right? Thanks a lot. Thank you. Thank you so much."

Although I had been so crushed by the reality of the disaster area, I thought I was really healed in a conversation with children.

The great disaster was really sad, painful, and severe occurrence, but I met a lot of people that live in still positive.
Through the encounter with the great – hearted people like those, it is also true that I got my own healthy living.
In addition, I am grateful to come here as a volunteer with the prayer and the support of many people from home and abroad.
Thank you sincerely to God, who has prepared such a wonderful encounter.

2012年5月2日

(Written by Pastor Shozo Sato of Miyazaki Minami Church)
(Translated by Takanori Sasaki of JMF chair: June 8, 2012)

仮設住宅居住者への食料品支援
 JMFでは、大震災発生以来、いろいろな形で支援活動をしてきました。
 被災地の方々をお招きすることの支援。
 夏休みに被災地の子どもたちを招いて、共に過ごすプログラムの支援。
 また、各地の教会に呼びかけ、応募されたボランティアを派遣し、被災家屋の泥かきや片付け、ガレキ撤去、拾得物洗浄などの仕事をしてきました。
 ボランティアの方々は、実際に現地に足を運ぶことで被災状況を肌で感じるとともに、被災された方々、被災教会や被災されたクリスチャンたちとの交流、ボランティア同士の交流を通して、私たちが創造主なる神の前で、多くの方々といっしょに生かされているのだという自覚を深められたことと思います。
 震災後9ヶ月たち、現地のニーズも変ってきました。
 避難所が閉鎖され、被災者の多くは仮設住宅へ入居されました。
 仮設への入居は「自立への第一歩」と位置づけられ、一律に、食事や生活必需品などの支給は停止されます。しかし、仮設に入られた方々の生活は多様で、失業者、高齢者、障害者などいろいろな方々がおられ、様々なニーズがあり,課題が浮かび上がってきています。食料品や生活物資の需要もまだまだあります。
 そこで、JMFの震災救援委員会では、支援活動の第二ステージとしていくつかの目標を掲げましたが、そのひとつが仮設住宅に入居しておられる方々への支援でした。
 すべての仮設住宅を支援する事は出来ないので、いままでにできた人脈を通じ、JMFの体力相応の支援を長く続けたいという事で、被災教会でもある、気仙沼第一聖書バプテスト教会がしておられる被災者支援活動に協賛する形で、支援活動を行う事としました。

 その第一陣を、2011年12月5日〜16日に行いました。
 参加者は、上門豊明(広島教会)、石谷忠之(広島教会、8日まで)、佐藤省三(宮崎南教会、8日まで)。
 上門兄は、16日まで現地駐在員として奉仕してくださいました。
 場所は、気仙沼市面瀬(おもせ)中学校のグラウンドにある153戸の仮設住宅です
被災地の学校は、おおむねこういうふうにグラウンドには仮設住宅があり、いろいろな面で制限があるだろうなぁ、と思いました。
仮設住宅は、グラウンド全面に配置されています。
さあ、今からここでやるぞう。元気なふたりです。
集会所に運び込んだお米にシールを貼りました。
右側の赤いジャンパーを着ているのは、気仙沼第一聖書バプテスト教会の嶺岸浩先生です。先生の紹介で仮設の集会場を使わせていただきました。

嶺岸先生は3月11日に教会堂と牧師館が流されました。3年前に新築したばかりの会堂と牧師館でした。
奥様と娘さんを連れ車で逃げられたそうですが、その時着ていたジャンパーが赤いのだったそうで、着の身着のままでの避難だったのでほかに着るものがなく、それ以来、先生のトレードマークとしていつもこの色のジャンパーを着ておられるそうです。
髪が白くて、真っ赤なジャンパー、よく目立ちます。

先生は、いま「時の人」です。
被災者で仮設住宅に住みながら、伝道者として、被災地にある教会の役割を果たそうと懸命になっておられます。各地の教会から支援物資が届けられ、それを自分たちの使命だと仮設住宅に配布しておられるのです。今は、仮の集会場で礼拝をしておられますが、そこも、そして先生の狭い仮設住宅も、支援物資が積み上げられていました。
絶えず電話がかかってきて、いろいろな打合せをしておられました。

「私たちは津波で会堂も牧師館も失いました。しかし今、主の恵みが祝福が津波のように私たちに寄せてきています」という先生のことば、そして前向きの行き方は、イエス様のお取り扱いについて深く考えさせられました。
祈り会の途中で先生に電話がかかってきました。
さて、シールを貼ったお米は、レンタカーに積んで各戸配布に行きます。一袋5キロですが、普段怠けている体には、けっこう重かったです。
教会の名前とJMFの名前がさりげなく。文字ではなく、すぐわかるようにしました。
もう雪が降るのに、外壁を二重にする工事をまだやっていました。
入り口にスロープが付けてある仮設もあります。車いすのためでしょう。
集会所には、クリスマスツリーが飾られていました。
各地から寄せられたメッセージ。
気仙沼港の近くに「復興屋台村」というのができていました。そこにもツリー。
下の方は、漁具を使ったらしい飾り付け。
帰りに、仙台駅の近くで見かけた、イチョウのツリー。
上鹿折の宿舎の近くで見かけた、「柿ツリー」。向こうは使われなくなった大船渡線です。

被災者の方々に、そして、あなたに、良きクリスマスと新年が訪れますよう祈ります。
震災救援コーディネーター 佐藤省三

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