熊本地震レポート

熊本地震被災地(西原村)ボランティア活動報告
佐土原キリスト教会 吉行孝彦

宮崎南教会の佐藤省三先生(JMF役員)にお誘い頂き、2017年5月22日、「西原村仮設住宅・防虫・防腐剤塗装ボランティア」に参加させて頂きました。その報告を致します。


5月22日(月)、昨年9月のボランティア活動の時と同じように、朝9時00分をメドに西原村の小島浩子さんご夫妻のお宅(「グリンゲイブルズ」と命名しておられます)に集合しました。

今回のボランティア活動は、小島さんご夫妻と、日本キリスト兄弟団、そして日本メノナイト・キリスト教会会議から集められたメンバーで行いました。今回は、天候にも恵まれ、予定通り、西原村仮設住宅にお伺いし、防虫・防腐剤の塗装作業を行うことが出来ました。
みんなで「この活動が少しでも仮設住宅に暮らす方々の慰めと励ましになりますように」と祈って、仮設住宅に向かいました。
仮設住宅は、昨年9月に伺った時よりも、何となく落ち着いた雰囲気のように感じました。1年という歳月が、ここに暮らす方々に新しい日常を与えたということなのでしょうか。

小島さんが事前に、「防虫・防腐剤塗装」の希望者を募っておられ、希望された方のお宅の、玄関回りと縁側に、防虫・防腐剤を、ハケを使って塗りました。玄関回りと、縁側には、木の板が使われています。その板が、だんだんと傷んで行くのを防ぐのが目的です。 玄関、縁側に置かれているものを一時的にどかして、そして塗って行きました。
慣れない仕事でモタモタしていると、仮設住宅に暮らしておられる方々が声を掛けて下さり、会話をする中でこちらの緊張が少しずつほぐれて行くように感じたことでした。
中には、これからの計画を話して下さる方もおられました。「前の家は全壊したけど、今、同じ場所に家を新築中です」という方もおられました。しかし、被災地で家を新築されるのは、大変なことだろうと思いました。その方も、これからの支払いの重さを正直に話して下さいました。

同じ仮設住宅に暮らしておられても、それぞれに、色々な事情を抱えておられることだと思います。仮設住宅に暮らす方々の上に、神様の恵みと顧みを祈らずにはおられませんでした。
防虫・防腐剤を塗らせて頂いたお宅には、お留守の家もあったのですが、1軒のお家では、ご夫妻がおられ、私達の作業に感謝して下さり、奥さんは、自動販売機に走り、ボランティアの人数分、冷たいお茶を買って、渡して下さいました。缶コーヒーを下ったお宅もあったようです。何しろ、不慣れな作業で、仕上がりも、一目でいかにも素人がやったということの分かるものでしたが、それでも、喜んで下さったことを、本当にありがたく思いました。

今回の作業中で印象的だったことの1つは、子ども達の笑顔です。前日が運動会だったということで、仮設住宅の中にある集会所で、子ども達の姿を見ました。それぞれ大変な経験をして来たのだろうと思うのですが、屈託のない笑顔に触れて、これから西原村が復興して行く、その原動力を見たような気がしました。

午後3時過ぎ、中央にある談話棟の「防虫・防腐剤塗装」の作業を終えて、今回の作業は終了となりました。


ところで、前回もそうでしたが、今回も私は、西原村の仮設住宅で様々なボランティア活動を続けておられるグリンゲイブルズの小島さんご夫妻のお働きの様子に圧倒されるような感じがしました。ご自身方も被災されているのに、仮設住宅に暮らす方々に対する篤い思いを持って活動を続けておられることに頭の下がる思いでした。その原動力は何だろうかと考えました。ご本人からも少しお話を伺ったのですが、何よりボランティア活動中にお借りしたグリーンゲイブルズのTシャツにその答がありました。Tシャツには、「God Loves Nishihara」と印刷がしてありました。「『神がおられる、神が西原村を愛しておられる、神は決して見捨てておられない』、そのような神の愛のメッセージを届けたい


という思いでなさっていらっしゃるのだろうなと思いました。


被災者の方々が仮設住宅でお暮しになるのは「原則2年」と伺いました。それぞれの方々の、これからの御歩みの上に、心より神様の恵みと祝福を祈りつつ、今回のボランティア活動を終えました。

なお、西原村の帰りに益城町に立ち寄りました。


町の中に入ると、青いビニールシートの数が随分と少なくなっていること、それと並行するように更地が増えていることに気づきました。少しずつ、少しずつ、復興の業が進んでいることを感じたことです。熊本東聖書キリスト教会のあった場所には、地主さんのお宅でしょうか、真新しい家が建っていました。昨年9月に伺った時には更地でした。時間の経過を印象深く感じました。


益城町の方々、特に主に在る兄弟姉妹方の上に、この地の教会の上に、神様の祝福を祈りつつ、益城町を後にしました。


以上が、今回のボランティア活動の報告です。個人的には、震災を、被災地を、被災地に暮らす方々の痛みを、また少しずつ遠くに感じていた、祈らなくなっていた、そのような自分を思わされ、悔い改めたことでした。「被災した方々に神様の愛を届けたい」と一生懸命に活動しておられる方々おられる、そのことを思う時、せめて祈りによって、その活動に加わって行きたいと、改めて思いました。その意味で、今回のボランティア活動に参加出来たことを感謝致しました。


アレンジして下さった方々、お世話して下さった方々、一緒に活動させて頂いた方々、熊本地震のために祈り、支援をして下さっている諸教会の方々、皆様に感謝致します。何より全てを導いておられる神様に感謝します。


被災地の方々の上に、この地の主に在る兄弟姉妹方の上に、人知を超えた神様の恵みがありますように、祈りつつ。

佐土原キリスト教会 吉行孝彦

熊本地震から1年、被災地訪問  佐藤省三 宮崎南教会

今年のイースターは、4月16日ですが、奇しくも昨年のこの日、熊本地方を震度7の本震が襲ったのでした。

昨年12月にも訪問した、熊本市の帯山聖書教会を訪ね、JMFからの義援金をお渡ししてきました。

この教会は、一見無事のように見えますが、「半壊・危険」という診断でした。
風呂場は、こんな状態でした。建物のあちこちにヒビが入っています。

左は、帯山聖書教会の隈上正敏牧師です。
会堂を建て直さなければなりませんが、地震後の建築費の高騰があって、しばらくはここで礼拝や集会をしながら様子を見、2年後くらいに建築に入りたい、ということでした。祝福を祈ります。

そのあと、西原村に小島浩子さんを訪ねました。
当日は、土砂降りの雨で、この写真は前に撮ったものです。

小島さんは西原村の仮設団地、A・B・C・Dの、集会場に、下の写真のようなイースターをお祝いするお菓子や可愛いお人形と、メッセージカードを準備していました。


そして、私たち夫婦に、これを書いて欲しい、という依頼でした。
イエス・キリストの復活と、西原村の「復興」を結びつけて、メッセージを書かせていただきました。

このメッセージカードが届く、西原村の仮設住宅です。

集会場ができて、その裏に小さな遊園地ができていました。
仮設の子どもたちがここで遊ぶんでしょうね。

集会場は大きな建物です。

集会場に連なって、仮設の商店が3軒、並んでいました。
どうやら、花屋さんと食料品店、それに散髪屋さんのようです。
おばあちゃんが買い物袋を下げて出てきました。

散髪屋さんも見えます。

「みんなの家」集会所。

翌日も雨でしたが、益城町を訪問しました。
最初に、何度かお世話になったボランティアセンターの「跡地」に行ってみましたら・・・なんと、まだやっていました。

週末だけ3日間の「営業」のようです。

前と同じ場所に、前と同じようにテントが建っていました。

どこからか贈られたものでしょう。
「災害復旧支援無料レンタカー」の軽トラが何台も並んでいました。

益城町木山の、以前ボランティアに行った場所です。
ここでは、ブロック塀を壊して撤去する仕事をさせていただきましたが、家屋は綺麗に撤去されて新築工事が始まっていました。

熊本地震ではいちばん被害の大きかった地域です。 壊れた家が連なっていましたが、いまは広い更地になっています。

この場所は報道でもよく使われたところです。

私たちも何度かここを訪問しました。
これは、その時の写真です。

雨の中で、解体作業をしていました。
車が来て、家の持ち主と話をすることができました。

「今は仮設に入っているが、この場所に家を建てたい。自分たちは先がないので、小さな家を建てて、ここで死にたい。」
と話しておられました。
ちなみに、この地区はほとんどが専業農家だったけれども、住宅も作業をする小屋も農具も壊れたので、なにがしかの勤めに出る人が増えた。兼業農家ばかりになってしまった、と話していました。

益城町の文化会館です。
この駐車場にかつて、いくつかのテントが建っていました。

そして、熊本東聖書キリスト教会があった場所です。
元の地主さんでしょうか。小さな住宅が完成間近でした。

益城町辻の城の、私たちがボランティアに行った場所です。
「すくすく保育園」でした。
左側の道路に盛り土が散乱して、通行の邪魔になっていたので、それを土嚢に詰めて積み上げたのでした。
夏の暑い日で、大変な作業でした。
建物はすっかり撤去され、1年経って、土嚢がボロボロになり、消えて ? います。

土嚢の袋、というのは、3ヶ月もすると劣化してしまうんですね。


ブルーシートを屋根にかけて、土嚢袋に小石を入れて「重し」にしていたところ、3ヶ月くらいして屋根から小石が降ってきた、という話を聞いたことがあります。

1年前のまま、放置してある家もありました。
「瓦を取るな」と看板が出ていた家です。

保育園の隣の家は、みたところどこも悪くないようですが・・・。

「危険」の張り紙が。誰もいないようでした。

熊本は雨でしたが、宮崎県にはいると雲が切れてきました。


そして、霧島サービスエリアでは、桜と若葉が迎えてくれました。

被災地の1日も早い復興と、被災者の皆様のご健康を祈ります。

佐藤省三・恵美子

阿蘇郡西原村仮設住宅、防腐剤塗りボランティア
佐藤省三 宮崎南教会

 9月26日と27日、前回のボランティアで世話になった「グリンゲイブルズ」の小島さんの紹介で、前回は雨でできなかった西原村仮設住宅の防腐剤塗りのボランティアをさせていただきました。/p>

仮設住宅からは、すぐ近くに阿蘇が見えます。

先の地震と大雨の影響で、山肌が削られているのが痛々しいですね。
右下が仮設住宅です。

仮設住宅は、急いで作られたので、木材が乾燥していないものがたくさんあったそうです。
それで、カビが生えたり、中にはキノコが生えたりとか・・・。

それで、木の部分に、「ソート」という防虫防腐剤を塗るのです。

今回は、私と妻と、小島さんのチームです。

お昼は、村の中心部にある「しん」というとんかつ屋さんを紹介していただきました。
一見、レストランには見えないような、地味な作りです。

私たちは12時過ぎに行ったのですが、なんと既に満席。
しばらく待って食べることができましたが・・・食事が終わったのは、もう1時前。
でも、とっても美味しかったです。キャベツとご飯はお代わり自由。

さて、また塗ります。
暑かったけど、陰になっていて、そよ風が吹いてきて、幾分か涼しい。

休憩のひと時です。

お客さんが来て、記念撮影。
菊池クライストチャーチの中原先生とボランティアの方が来てくださいました。
シャツが汗でびっしょり。
この日は33度ありました。

しかし、田んぼには彼岸花が満開。
秋の美しい光景です。

皆様のお祈りとご支援で、被災者の方々に少しでも助けになることができて、感謝です。

JMF委員  佐藤省三(宮崎南教会)

熊本地震被災地(西原村)ボランティア活動報告
佐土原キリスト教会 吉行孝彦

 宮崎南教会の佐藤省三先生(JMF役員)にご紹介頂き、9月12~13日の日程で「西原村仮設住宅・防腐剤塗装ボランティア」に参加させて頂きました。その報告を致します。


 9月12日(月)、朝8時30分過ぎに西原村の小島浩子さんご夫妻のお宅に集合しました。

 今回のボランティア作業には、菊池クライスト・チャーチ、日本キリスト兄弟団、日本メノナイト・キリスト教会会議から、兄弟姉妹方が集められ、一緒に活動をしました。小島さんご夫妻はご自宅を「グリーンゲイブルズ」と名付け、ご自宅をクリスチャンの交わりや地域の交わりに開放しておられるとのことでした。家を建てる時から、そのようなビジョンをお持ちだったようで、グリーンゲイブルズは、荷物の出し入れや、作業が出来るような造りになっていました。そのご自宅も被災をされ、あちこちにヒビが入っている状態でしたが、ご自宅がそのような状況でありながら、近くに出来た仮設住宅の方々のご苦労を気にかけられ、その方々のお世話をしたいと願っておられるお姿に感銘を受けました。
 本来は、西原村仮設住宅の防腐剤塗装の作業を行う予定でしたが、雨のために作業が出来ないことが予想され、佐藤先生、小島さんが、雨天時のボランティア活動――仮設住宅にお住まいの方々への傾聴ボランティア、支援物資の配布――も計画して下さっていました。その計画に従って、参加者はそれぞれにたくさんの果物を準備して行きました。 
 果たして12日は朝から予想以上の雨模様で、1日目のボランティア活動は支援物資の配布に変更になりました。午前中は、各ご家庭に配布出来るように果物の袋詰め作業を行いました。300軒分となると相当な量です。大勢の兄姉方が集められ、一緒に作業出来ることの祝福を感じました。1つの袋にナシが3個とリンゴが2個、それが一軒分です。ある程度の袋が出来たので、私達のグループは、昼前から仮設住宅に出かけて行き、訪問を始めました。

 私は小島さんのご主人と2人で、主にご高齢の方々が住んでいらっしゃる区画を訪問しました。チャイムを鳴らすと、そこにお住まいの方が出て来られ、皆さん一様に果物を喜んで下さいました。果物をお渡ししながら「大変でしたね」とお声をおかけすると、多くの方が地震の恐ろしさを語って下さいました。私は、益城町と南阿蘇村のことは報道等で良く聞いていたように思うのですが、西原村の被災については、申し訳ないことながら良く知らなかったというのが正直なところです。後で布田という地域に伺った時、西原村を襲った地震の凄まじさを実感しましたが、「家が全壊しました」、「半壊しました」というお話も沢山伺いました。「避難所に2か月半いました」とお話し下さる方々もおられ、その避難所での生活も大変でいらしたようです。「本当に大変だったけど、家族の者の命が助かって良かった、感謝しています」と、しみじみと語られるそのお話を伺った時には、「良かったですね」と申し上げながら、涙が出て来ました。ご高齢の方々には、生活環境の激変に対応されるのも大変なことだろうと思いましたが、それでも現実を受け入れ、前向きに生きて行こうとされる皆さんのお姿に触れ、神が人間に与えて下さっている強さ(素晴らしさ)のようなものを感じたことでした。

 昼食をはさんで、午後も果物の配布をしました。親しくお話し出来た方には、トラクトの配布もさせて頂きました。果物を「本当にお世話になりますね。ありがとうございます」と受け取って下さるお姿に触れ、この活動が被災された方々に少しでも主の慰めと励ましをお届けするものであったことを感謝し、その活動の端に加えて頂いたことを感謝しました。


 前述のように仮設住宅の支援物資配布が終わった後、布田地区を訪問しました。

 西原村でも被害の最も激しかったところの1つだということでしたが、全壊している住宅は地震の凄まじさを物語っていました。しかしそのような地域にあって、皆でお訪ねした内田さんご家族のご様子に、地域に輝く希望の光を見るような思いでした。ご家族の手で新しい家が少しずつ建てられていましたが、そこには、お祖母ちゃんを中心にご家族が心を1つにして励まし合っておられるお姿があり、明るく、素晴らしい笑顔がありました。小島さんが親しくしておられるご家族だそうですが、そこで佐藤先生、滝部伝道所の岡崎新太郎先生のお導きで、皆で祈りを捧げた時、その場を神様の恵みが覆うのを感じたことでした。西原村のためにますます祈らせて頂かなければならないと思いました。


 2日目、13日は、天候が回復したら仮設住宅の防腐剤塗装作業をする計画でしたが、残念ながら雨は止まず、教会会議の兄姉方とご一緒にグリーンゲイブルズで小島さんとしばらくお交わりをして、そして西原村の被災された方々のために、また小島さんご夫妻、グリーンゲイブルズの今後のお働きのために、日向教会の木田博文先生のお導きで一緒に祈りを捧げました。小島さんご夫妻は、西原村に教会がないということで、グリーンゲイブルズの敷地内に教会を建てたいという篤い願いを持っておられました。その祈りに加えて頂きたいと願ったことでした。

 さて、グリーンゲイブルズを辞した後、私は益城町を、短時間でしたが、訪ねました。益城町では、重機によるガレキの撤去作業が随分と進んでいる様子でした。以前、被災地訪問の時にお交わり頂いた、豊世武士先生の牧会しておられた熊本東聖書キリスト教会も、倒壊した建物が撤去され、教会の跡は更地になっていました。町全体が、復興に向けて、少しずつ動き出している様子を見せてもらったことでした。とはいえ、まだまだ倒壊したままの建物も数多く残っていました。神様の恵みを祈りつつ、益城町を後にしたことでした。

 以上が今回のボランティア活動の内容ですが、個人的には、被災地へ心を寄せて行く、そのことが、徐々に徐々に薄らいでいた自分の現実を深く反省させられました。被災された方々の生のお声をお伺いし、前回訪問した際に伺った「何より祈って欲しい」という言葉を改めて噛みしめたことでした。心を寄せて祈らせて頂く、まずそのことを続けて行こうと思いました。その意味でも、被災地の方々に触れ合うことが出来た今回のボランティア活動に参加出来たことを有りがたく思いました。アレンジして下さった方々、お世話して下さった方々、一緒に活動させて頂いた方々、熊本地震のために祈り、支援をして下さった諸教会の方々、皆様に感謝致します。そして全てを導いておられる慰め主なる主に感謝致します。


 以上、報告致します。感謝しつつ、祈りつつ。

熊本地震被災者支援・・・西原村    佐藤省三

 2016年9月12日と13日、地震の被害が大きかった阿蘇郡西原村を訪ねました。
西原村は、「村」とは言いますが、熊本空港のすぐ近くで、九州自動車道の「益城熊本空港インター」からも近く、とても便利のいいところです。


12日は、宮崎からの参加者は、朝8時30分、ナフコ西原店で集合でした。。
皆さんは朝5時頃に家を出たそうです。

今回は、西原村在住の小島浩子さんご夫妻のお宅を拠点とさせていただきました。
小島さんは「グリンゲイブルズ」という支援団体を作っておられますが、この名前は、ご自宅の屋根の形からつけたものだそうです。
「赤毛のアン」の家を模して建てられたとか・・・。
素敵な家です。
建てて1年半くらいだそうですが、この前の2回の地震でこの家もダメージを受け、建築士の判定は、「半壊」。
家の壁にあちこちヒビが入っていました。
でも、そこに住んでおられるのです。
山口からの参加者は、ここに一泊させていただきました。

そこに今回集まったのは、宮崎から5名、山口から3名、熊本の参加者が4名。
地元菊池クライストチャーチの中原先生と会員の方が参加してくださいました。
右から二人目の方は、「九州ラーメン党」の方です。ご挨拶に来てくださいました。

最初は、仮設住宅に防腐剤を塗るボランティアをしよう、ということでした。
ところが、「塗りボラ」は、天気が良くなければできません。
この日は、あいにくの雨。


被災者の方々に支援物資をお配りして、いろいろとお話を伺う「傾聴ボランティア」をすることになりました。
とは言っても、手ぶらでは行けません。
そこそこの支援物資を用意し、携えていくことになります。
前もって、入居者の皆さんは何が欲しいか、聞いていただいて、「果物セット」ということになりました。
西原村の仮設住宅は、一箇所に300戸あります。


時間の都合もありますので、宮崎、日向、山口から、車で参加された方々に、前もって「梨」をたくさん買ってきていただきました。
全部で900個。

果物セットを入れる袋を用意し、それにラベルを貼ります。
女性の方々が進んでやってくださいました。

そして、近くの「ふるさと市場」からリンゴをたくさん仕入れてきました。
ちょうど今朝、青森から届いたばかり、という美味しそうなリンゴが600個、手に入りました。
昔懐かしい「りんご箱」入りで、ひとつの箱に50個くらい入っています。
車で2回、買いに行きましたよ。

これが、仮設住宅に配る、贈り物セットです。
なしが3個にりんごが2個。

シールには、地元の教会の名前が入っています。
JMFは、協賛ということになっています。

できた贈り物セットを箱にも入れましだか、箱に入れると場所を取るので、バラで積んでいきました。
袋の口をしっかり結んでおかないと、荷崩れしてしまいます。
車4台に載せて、いざ、仮設住宅に出発です。

仮設住宅に着き、いよいよふたり一組になって、配布です。
みんなで心を合わせてお祈りをし、別れて訪問しました。

住宅地の一角に、工事中の仮設住宅がありました。
これが、基礎です。
防腐処理はしてあると思いますが、なんと簡単な基礎でしょうか。
水がたまれば、木ですから、やがて、腐ってしまうでしょう。


東北では、仮設住宅にもう5年以上住んでいて、まだあと3年くらいは住むことになると聞いたことがありました。
もともと仮設住宅というのは、2年程度の使用しか、想定していないものなのです。

板で覆ってありますが、中の「木の杭」が見えていました。

仮設住宅は、A、B、C、Dと4つのかたまりになっています。
いちばん左側の「A団地」の建物は一部しか書いてありません。
ここには、見守りの必要な方々がまとまって入っておられるとか・・・。

メンバーの一人が、居住者の方とお話をしています。
もともとの、同じ地域の方々がお隣りになるように入居していただいたそうです。

私が訪ねたところは、[全壊です」という方がほとんどでした。地震の時の話をいろいろと聴かせてくださいました。
みなさん、心の中に大きなストレスをかかえていらっしゃるのですね。

山口から来た姉妹は、話が盛り上がっているようです。

ここでは何人が集まって、話が始まりました。
いいですねぇ。

すっかりお友だちになった方もおられました。

配布が終わり、小島さんの紹介で、被害の最も激しかったところを訪ねました。
正面と右手の家は全壊で、誰も住んでいませんが、そこの息子さんたちが大工さんをしておられ、素敵な「ログハウス」を作っておられます。

お母さんは、高齢になられているので、仮設住宅では大変だろうと、息子さんたちが作られているのだそうです。
素敵なお話です。

「さ、上がれ、上がれ」と言われるので、上がらせていただきました。
そして、お許しをいただいて、この家族の上に、お母さんのために、主の祝福をお祈りをいたしました。

前の家の擁壁は、こんな具合です。

正面の家は、見る影もありません

この日は、こうして終わりました。

宮崎からのチームは、宿泊は、山鹿市の鹿本キリスト教会(原口泉牧師)でした。

翌日は、またもや「雨」。
秋雨前線が停滞していたようです。


写真の、私たちの前に置いてある防腐剤を仮設住宅に塗る予定だったんですが、残念ながら次回ということになりました。

参加してくださった皆様、ご苦労様でした。
そして、快く受け入れてくださった地元の皆様に感謝します。
また、全国で熊本地震の被災者のために祈り、支援をしてくださった方々に感謝します。

1日も早い復興を祈ります。

熊本地震被災地訪問の報告
日本メノナイト・キリスト教会会議議長 佐土原キリスト教会 吉行孝彦

 宮崎南教会の佐藤省三先生(JMF役員)にお声を掛けて頂き、6月13日(月)、滝部伝道所の岡崎新太郎先生(JMF役員)、佐藤省三先生・恵美子夫人に同行して熊本地震被災地を訪ねました。熊本地震においては、日本メノナイト・キリスト教会会議がJMFの支援の窓口になるということで、現地の様子を知っておきたいと願ったからです。
 最初に訪問したのは、九州キリスト災害支援センター(「九キ災」)の拠点になっている植木キリスト教会でした。植木教会に入ると、会堂には支援物資が積み上げられていました。専従スタッフである田巻みどりさんが「九キ災」の活動状況について詳しく説明して下さいました

 この2か月、色々な救援活動をして来られたとのことですが、近況として「支援のニーズが少し下がって来ている」という話もして下さいました。復旧のために助けを必要としておられる方々は、まだまだ沢山いらっしゃることと思います。そのニーズを掘り起こすところから、隣人のために地道に働きたいと願っておられる「九キ災」の方々の篤い思いに感銘を受けました。ボランティアの方々も続けて来ておられます。ボランティアの宿泊の場所もあるようです。広告の配布などを通してニーズを掘り起こすことも、ボランティアの大切な働きではないかと感じました。JMFから支援金をお渡ししましたが、それは「九キ災」のお働きのために大きなお励ましになったことと思います。

 次に熊本東聖書キリスト教会の豊世武士先生ご夫妻を、待ち合わせ場所の熊本北聖書キリスト教会にお訪ねしました。熊本東聖書キリスト教会の礼拝堂は、震災によって全壊したということで――後で益城町に行き、会堂のあった建物を見ましたが、建物は「良く豊世先生ご家族は助かったな」と思うほどの激しい崩壊でした――豊世先生ご夫妻は、熊本市内のアパートに移り住んで、信者さんの経営する会社の一室で礼拝を守っておられるとのことでした。先生ご夫妻は、教会の方々が全員守られたことを何よりも感謝しておられました。

 地震被災の様々なご苦労を伺いましたが、中でも印象深く伺ったのはお嬢さんのことでした。4月14日、1回目の地震の時、お嬢さんは浴室でシャワーを浴びようとしておられたところだったそうです。浴室の壁がだんだん押しつぶされていって、壁が目の前に迫って来た。右手は壊れた建物に挟まれて身動きは出来なかったそうです。ついに壁が顔のところまで来た時、お嬢さんは必死で「詩篇23篇」を暗誦されたそうです。それによってパニックにならずに済んだということでした。そうしているうちに、壁の動きも止まったようです。さらに服は脱いでおられましたが、シャワーを浴びる前だったので、濡れた体が冷えるということもなかった、またタオルが目の前に何本がぶら下がって来て、それで体を温めることも出来た。色々な条件が重なって、5時間後でしたか、救出されたそうです。実は、お嬢さんは、生まれてすぐ、全身の血を入れ替えなければならない状態だったそうです。ご両親は必死で祈られた。その祈りの中で命を守られ、今日まで成長して来られた方だそうです。ご両親は「この子は神様に守られている子だから大丈夫だと思っていました」とおっしゃっていました。神様は、震災の中、色々な業を為さっていたことを改めて教えて頂き、御名を崇めました。
 豊世先生は「今は熊本市内で礼拝を守っているけど、やはり益城に帰って教会の働きをしたいと思っている」という趣旨のことをおっしゃいました。先生方のために、教会のために、祈らせて頂きたいと思いました。また支援が求められていると感じました。JMFからお見舞い金が捧げられましたが、それは先生方にとられ、また教会にとられ、大きな励ましであられたことと思います。


 豊世先生ご夫妻とお別れした後、益城町に行き、被災の状況を見ました。まず町の入口にあるボランティア・センターを訪ね、社会福祉協議会が行っているボランティア派遣の様子に少し触れることが出来ました。震災直後から、変わらずに、ニーズの掘り起こし、ボランティアの受け付け、派遣の作業が続いているようです。
そこから、いよいよ益城町の市街地に入りました。入ると直ぐに、屋根にかぶせてあるブルーシートや、斜めに歪んでいる塀、壊れた建物等、震災の傷跡が目に飛び込んで来ました。最初に車を停めたのは、前述の熊本東聖書キリスト教会のある場所でした。その一帯の家は、激しく壊れていました。

 教会を目の前で見て、豊世先生方は良く助かったな、と改めて神様の御手を思いました。
 同じ敷地にボランティアの要請を受け付けるブースがありました。日本各地でのボランティア活動の経験を持っている方々がチームを作り、ボランティアの活動を希望される被災者のお宅で活動しておられるそうです。彼らは重機も動かすということでした。色々な人達が被災者に心を寄せ、また具体的な活動をしていることを感じました。>


 その後、益城町でも被害の最も激しかったであろう一区画に行きました。

 通りの両側の家々は、大変な被害を受けていました。ある家はつぶされ、また傾き、地震の被害の生々しさがそのまま残っていました。住んでおられる方々は、どこからどうやって手をつけたら良いか分からない状況でいらっしゃるのではないかと思いました。片付けには、ボランティアの活動はもちろんですが、重機による整備等、行政の働きが何より重要です。行政の働きのためにも祈らなければならないと思わされました。


 最後に、「九キ災」のもう1つの活動拠点となっている山木キリスト教会を訪ねました。教会の方々とお話する時間はありませんでしたが、教会の前には「九キ災」と書かれた軽トラックが停まっていました。「九キ災」、山木教会のお働きのために祈り、教会を後にしました。

 以上が、今回の被災地訪問の行程ですが、訪問を終えて、次のようなことを感じました。


・「九キ災」の田巻さんが「何より祈って欲しい」とおっしゃっていました。何よりまず、被災地の方々に、被災地の教会に、またそこで働く全ての方々のために、心を寄せて祈ることが大切だと思いました。祈りによって神様の御業に加わって行くことは、特に被災された教会、クリスチャン方にとって、決して小さいことではない、その方々を支えるものであると、改めて確認しました。


・今回、JMFから、2か所に献金が送られましたが、それは被災地で大変な思いをしておられ、また様々な必要を覚えていらっしゃる方々にとって、大きな励ましとなったことを思いました。JMFが、またJMFを通して献金を捧げられた1つ1つの教会が、また様々な形で献金を捧げられた教会、お1人びとりが、神様の祝福を届ける器となっていることを感じました。同時に、まだまだ必要を覚えておられる教会、クリスチャンの施設が沢山あるのだろうと思いました。そのような教会等の必要に応えて行くことが出来れば、それは主の恵みの御業への参与だと思います。


・ボランティアの方々のお働きの尊さを思いました。被災された方々が何から手を付けて良いか分からない状況にあられる時、一緒に働いて下さる方がおられることは、大きな励ましだと思います。手伝ってもらうことを遠慮される方もいらっしゃると聞きましたが、ボランティアの働きに感謝される言葉も伺いました。そして、これからのボランティアは、被災された方々のニーズの掘り起こしからやって行くような、被災地の方々の心情にさらに寄り添う姿勢も大切なのかな、と感じたことでした。


・JMFとしての今後の支援の在り方については、引き続き「ボランティア派遣」、「被災教会の支援」のふたつが柱になると思いますが、いずれにしても被災地の状況、被災された方々の必要、被災された教会の必要を知ることが大切だと思いました。


以上、報告致します。

熊本地震被災地訪問 JMF委員 岡崎新太郎・佐藤省三・吉行孝彦・佐藤恵美子

“Visiting Affected Areas of Kumamoto Great Earthquka” June 20, 2016
Members of JMF: Shintaro Okazaki, Shozo Sato, Takahiko Yoshiyuki, Emiko Sato

6月13日月曜日、JMF委員の岡崎と佐藤、教会会議の議長・吉行孝彦、佐藤恵美子の4名で、被災地を訪問しました。

On Monday, June 13, Mr. Okazaki and Mr. Sato both of JMF member and President Takahiko Yoshiyuki of Kyushu Mennonite Church Conference and Emiko Sato of Miyazaki Minami church member, we four people visited disaster areas.


まずは、今回の地震の後すぐに結成された、「九州キリスト災害支援センター」の事務所を訪問。 5月までは熊本ハーベストチャーチにあったんですが、6月からは、熊本市北区の「植木キリスト教会」をお借りして拠点とし、活動をしています。

At first, we visited the office of Kyushu Christ Disaster Center that was formed this great earthquake soon after. This office was in Kumamoto Harvest Christ Church until May, but now is in Ueki Christ Church in Kita Ward, Kumamoto city from June. They borrow the building of this church and are active base in here.


私たちが訪ねた時はお昼前で、事務所には田巻さんという方がおられました。

When we visited there, it was before noon. Ms. Tamaki was in the office.

活動の状況をお聞きし、JMFから活動を支援するための義援金をお渡ししました。

We heard about their activity from her, and we gave the donation from Japan Mennonite Fellowship or JMF for the support of their activity.

そして、熊本北聖書キリスト教会を訪ね、ここで、益城町にあった会堂が壊れた、熊本東聖書キリスト教会の豊世武士先生夫妻とお会いし、義援金をお渡ししました。

And then we visited the Kumamoto Kita Bible Christ Church. We met Pastor Toyose Takeshi and his wife of Kumamoto Higashi Bible Christ Church which was broken their church building in Masuki town. And we gave our donation to them too.

そして、地震の時のお話を伺いました。いままで、間接的には知っていましたが、ご本人たちから聞くお話には、圧倒されるものがありました。


4月14日21時26分、震度7の地震が発生。
停電になり、突然、天井が分かれて、星空が見えたそうです。
家が、元の家と建て増しした部分が、ふたつに割れた瞬間でした。

We heard their story about happening the time of earthquake. We knew time when an earthquake included them indirectly so far. However, the story to hear from them directly had an overwhelmed thing. “ It is an earthquake occurrence with a seismic intensity of 7 at 21:26 on April 14. It was lost power, and ceiling was divided suddenly and seemed to see starlit sky. It was the moment when a building was broken to two.”

度重なる余震で、いまはこんな風にくっついています。

Their house was broke like this that happened earthquake so many times.

豊世先生の娘さんは、落ちてきた天井に挟まれ、身動きができなくなったそうです。
そして、余震が来るたびに、目の前の天井がだんだん迫ってきて・・・、詩篇23編の、「たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。」のみことばを実感していた・・・ということでした。

A daughter of Pastor Toyose was sandwiched in between the ceiling which fell, and she did not be able to seem move. And whenever an aftershock came, a ceiling in front of eyes seemed to gradually approach. …. She realized the next parts of Psalm 23; “…Even though I walk through the darkest valley, I will fear no evil, for you are with me….”

そのあと、益城町の被災現場を訪ねました。
呆然とたたずむ岡崎さん。

After that, we visited to the affected site of Masuki town. Mr.Okazaki stood there in utter amazement.

益城町文化センターの駐車場には、テントが幾つか貼ってあり、そこで生活しておられる人がいらっしゃいました。
テント村は、5月末で「撤去」ということになったからでしょう。

Some tents were still set in the parking lot of Masuki Town Cultural Center, and there were the people who lived a life there. The camp ground becomes “the removal” in the end of May.

最後に、木山キリスト教会を外から見て、祝福を祈り、それぞれ、帰途につきました。

Finally, we saw the Kiyama Christ Church from outside and we gave prayer of the revival to God, and we left for home each.

〔Written by Shozo Sato of Miyazaki Minami Church Pastor 〕
〔Translate by Takanori Sasaki of JMF〕

熊本地震ボランティア・・・益城町にて
宮崎南教会 佐藤省三・恵美子

“As Volunteer Workers For Kumamoto Earthquake in Masuki town”
Miyazaki Minami Church, Shozo Sato & Emiko Sato, June 4, 2016

5月30日(月)と31日、益城町に行ってボランティアをしてきました。
益城町が運営するボランティアセンターです。

We went to Masuki town in Kumamoto on May 30 and May 31 as volunteer workers. This is a volunteer center operating in Masuki town.

29日の日曜日は1日雨で、ボランティアセンターもお休みだったそうです。
グラウンドがこんな状態でした。

Because of raining all day of Monday May 29, it is closed a volunteer center. And ground is also such a condition.

受付は8時半からで、ボランティアはたくさん来られるので、それまでは車の中でお待ちください、という案内が出ていました。
新規の人と、継続の人は別々に並びます。

The acceptance of volunteer worker is from eight o’clock in the morning. We waited in our car because a lot of volunteer workers were coming until then. A guide appears to line up new volunteer and continuation volunteer separately.

2回目以降のの人は「継続」で、申込書に記入して、すぐマッチングです。

The people more than second make an application for “continuation”. And they are matching with an affected person immediately.

新規の人は、「ボランティアの心得」のような説明がありました。
1、絶対に無理はしないでください。
2、金品は貰わないでください、お茶くらいはいい。
3、屋根の上に上がるなど、危険な仕事は引き受けないでください。
4、水分補給をして、たびたび休憩をしてください。
5、午後3時半までには終了してください。
などなど。
とてもいいお話でした。

There is an explanation of knowledge for new volunteer worker:
1. Don’t overwork yourself.
2. Don’t take money or goods from affected people. Tea is O.K.
3. Don’t take dangerous work like climbing the roof top.
4. Take a break for fresh water very often.
5. Finishing your work is until three o’clock and a half in the afternoon.
And so on, they are good explanation for new volunteer worker.

そして、個人のお宅からの要請と、ボランティアの人とのマッチングです。
席は3つに分かれていて、右が一般の参加者。
左側は、乗用車を出せる人と、軽トラックあるいはトラックを出せる人で並びます。
私は、現場で、休み時間に行きたいところがあったので、車を出すところに並びました。

And then, it is matching with an affected person’s request and a volunteer worker.
There are three chairs in front of the acceptance desk. One is participation for the public. Second is offering the car or the small truck or the truck for voluntary. I line up the second because I want go to certain place during the lunch time.

10人のチームに参加し、軽トラ一台、乗用車2台に、いろいろな道具を積んで出かけます。
出かける直前に、チームリーダーの発声で、「がんばるぞー」、「オー」と気合を入れました。
リーダーは、中央の若い人でしたよ。

I joined one of the ten people team, and we went to the affected place loading various instruments on the two cars and the small truck. Before starting, we pepped us “take a best” from a team leader’s shout. The team leader is a young man in the middle.

このあたりが、益城町木山の1日目の現場周辺です。

This is a working place around Kiyama I Chome in Masuki town.

この人が家主さん。
家は大きく壊れ、左手の小さなビニールハウスに家財道具を入れる仕事もしました。
私たち男性の主な仕事は、倒れたブロック塀の片付けです。
コンクリーブロックと、瓦と、ガラスがごちゃごちゃになっています。
それを小さく砕き、鉄筋を切り、分別をして片付けるのです。

This person is a landlord. His house was greatly broken. I did work to put household effects in a plastic shed on the left side of the house. It is the putting in order of the wall made of blocks which fell down by the main work of male persons. As for them, concrete blocks and roof tiles and the glasses became mixed
up. We crushed these small and cut reinforcing rods and we separate them and clear them up.

昼休みに少し歩いてみました。
こんな家がたくさんあります。

I strolled in the circumference a little for the lunch break. There were a lot of houses broken in this way.

水道管も破壊されているのでしょう。
こんなものがありました。

The water pipe was destroyed, too, and there was a fire hydrant for the emergency putting.

そして、熊本東聖書キリスト教会の「跡」に行きました。

And then I went to the ruins of Kumamoto East Bible Christ Church.

こんな看板が出ていました。

Such a signboard was leaned. The written sentences are as follows.
“We give it to people suffered from by this great earthquake heartily. We pray that there will be the deep comfort and encouragement of the Lord on all of you. We pray for all the members of church for future restoration and healing. Match power together.”
Kumamoto East Bible Christ Church

教会は、益城町文化会館のすぐ近くでした。

The church is near the Masuki Town Cultural Hall.

ボランティアセンターからのお知らせが立ててあります。

そういえば、妻は、女性数人と手分けをして、「ボランティアをします。申し出てください」というチラシを配布して回りました。

There is a signboard of the volunteer center. It says that the person asked for a disaster volunteer worker accepts it by the white tent in the parking lot.

益城町総合体育館とグラウンド、その敷地内に、テント村がありました。
テント村は、登山家の野口健さん=東京都=らが、開設していたものですが、梅雨時期を迎え、川が近いので増水が心配だ、そしてテントの中は日中が高温になるために、31日限りで、益城町が閉鎖を決めたのだそうです。
避難所では、子どもがいたりして迷惑をかける・・・などいろいろな理由でここにおられた人たちは、これからどこへ行くのでしょうか。

There are tent villages on the ground of Masuki Town General Gymnasium.
 Ken Noguchi who is a mountaineer from Tokyo established these camp grounds. However, Masuki Town Office was only for May 31 and decided closedown. The rainy season comes soon. And they worry about the flooding of the big river nearby. And they also worry about the high temperature in the tent during day time. Where will people including children who took shelter go from now on?

さて、31日のボランティアは、辻の城地区の、「すくすく保育園」という小さな保育園でした。

Well, we went to the “Suku Suku Day Nursery” of the district of Tsuji-no-Shiro. This is a small day nursery.

家は、一見、ちゃんとしているようです。

The building seems to work at glance properly.

しかし、あちこちに亀裂が入っていて、「危険」の張り紙。
家主さんは、建て替えると言っていました

However, many places cracked in a house, and red paper of “the danger” was completed. The landlord was said that the house rebuilt it.

10人のチームで、道路の中央まで散乱した、土と、ブロックと、中に混じっている石を分別し、土は土嚢に入れてこんなふうに積み上げました。
ボランティアの仕事は、午後3時半までですから、午前中かなり頑張ったのですが、きょう終わる見込みはありませんでした。・・・それに、とても暑かった。温度計で測ったら、ここでは33度ありました。

We ten team members collected soil and concrete blocks scattered in the middle of the road. And we separated stones and soil mixed in that, and we put the soil in a pot and piled it up in this way near the building. Because the volunteer work was until 3:00, we considerably did our best in the morning, but there was not over anticipating it today. And it was very hot, it was 33C degrees here when measured in a thermometer.

大阪から来たという男性が、土嚢を積み上げるのがとても上手でした。
そして、積み上げた土嚢を、角スコップで叩いて、きれいに仕上げてくれました。

It was very good that the man who came from Osaka piled up soil pots. And he knocked on the soil pots which piling up with a square shovel and finished it neatly.

個人的には、「この暑さの中、午後はきついなぁ」、と思っていたところでしたが、なんとお昼から、10人の応援部隊が到着。 心の中で、「神様、ありがとうございます。助かりました。」と感謝の祈りを捧げました。

I thought myself, this work to be harder in this heat more and more in the afternoon. I was thinking so, and a support corps of ten people came over newly. I gave thanksgiving in my heart. Thank you for God. I was saved.

ぐんぐん仕事が片付いていきます。

Our work is putting in good order quickly.

そして、完成。
私は、家主さんから、邪魔になっていた木を切るように頼まれ、柿の木と、キンカンと、キンモクセイを切って片付けました。私の車には、ノコと剪定バサミがいつも入れてあるのです。

Our work is over. And I asked to cut the trees which interfered by a landlord. And I cut the trees of persimmon, cumquat, and fragrant olive, and then I cleared them up. I always put a saw and pruning shares in my car.

仕事が終わったところです。

Our work is finishing now, and then our tools are putting in our car

「阪神大震災でお世話になったから、その恩返しです。」と言う神戸から来た若者が3人。

Three youths who came from Kobe to tell to be the repayment of favor because they were take care of Great Hanshin Earthquake.

山梨から来たという若い男性2人もいました。
皆さんは、一週間とか、一ヶ月とかいう人たちで、この車で「車中泊」をしながらボランティアをしているそうです。
頭が下がります。
被災者の方々も、避難所で生活をしている人、子どもがいるので車中泊を続けている人がいるそうです。
主の慰めを祈ります。

There were two young men who came from Yamanashi. They do volunteer activity for one week or one month while staying a car. Unfortunately I cannot do it like them. The people who lives in various places at a refuge of victims or there are persons who continues sleeping on their car because there is a child. I pray for the comfort of the Lord.


私だったら、車中泊はキツイだろうなぁ、ちゃんと布団で眠りたいなぁ、温泉にも入りたいなぁ、と思います。
宮崎は近いし、娘の家もあるので私のような者でも、ボランティアが出来るので、ありがたいです。

If it is me, the life in the car will be hard. I think that I want to sleep with futon or Japanese bedding properly and I want to take a bath in the hot spring. And also my hometown Miyazaki is near from here, and my daughter lives in same Kumamoto. That’s why I can do a volunteer activity. Thanks for God.

ボランティアをした、その、ちょうど前の家も、しっかりしているようですが・・・。

In the opposite house where we worked, nothing seems to fail at a glance.

「赤紙」が。

Mobilization notice of the danger was put on the entrance door.

つぶれた家の前に何かが書いてあります。

It is to write in front of the broken house.

「カワラを取らないで下さい」。
誰かが、この時期、「貴重品」のカワラを取っていったようです。
世の中には、不心得者がいるのですね。

“Don’t steel roof tiles from here”. Someone seemed to steel valuable roof tiles from here in this time. It is an immorality person in this world, isn’t it?

さて、昼休みを利用して、木山キリスト教会を訪ねました。
周囲の建物は甚大な被害を受けましたが、この教会は、無事だったそうです。
それで、支援活動をしています。

I visited the Kiyama Christ Church during lunch time. The houses around here damaged greatly, but this church was safe. And then, the church members do support activity now.

ここは、九州キリスト災害支援センターの拠点の一つになっているそうで、ここでもニーズの受付、ボランティアの受付をしているそうです。
たくさんの支援物資が積んでありました。

This is one of the bases of Kyushu Christ Church Disaster Support Center. Here is also acceptance for victims and for volunteers. A lot of support goods are piling up in this room.

礼拝堂です。

This is a worship room or a chapel.

小田眞由美先生と。

This photo is Pastor Mayumi Oda and me.

あなたも、熊本に行って、いっしょにボランティアをしませんか?
お申し出を待っています。

Will you go to Kumamoto, and do volunteer work? We are waiting for your volunteer proposal.

〔Written by Shozo Sato of Miyazaki Minami Church Pastor〕
〔Translated by Takanori Sasaki of JMF〕

熊本・大分地震ボランティアの報告
日向キリスト教会 木田博文・洋子

“A Report for the Kumamoto and the Oita Earthquake Volunteer Work”
May 8, 2016 By Hirofumi & Yoko Kida, Hyuga Christ Church

5月2日の朝、日向を発ち、高千穂、高森、南阿蘇、西原村を通って熊本市内に入りました。
南阿蘇の山道は、道路にひびが入り、所々に大きな岩が転がっていました。西原村に入ると、いっぺんに景色が違い、半壊の家やブロック塀が落ち、ブルーシートが目立ちました。

We left Hyuga in the morning on May 2, and through Takachiho, Takakmori, Minami-Aso, Nishihara village and entered Kumamoto city. A road cracked, and big stones rolled by the Minami-Aso mountain path here and there. Scenery changed completely when we entered the Nishihara village, and there was the house which collapsed of a building and the wall made blocks of partial destruction, and the blue seats of the rain-cover was outstanding.

熊本市内の様子は、私が見た範囲ですが、建物の被害は少ないように思いました。しかし、いたる所で外壁が落ち、床タイルが剥げ、使えなくなった家具等が積まれていて、大きな地震の傷跡を肌に感じました。
今回の地震で天守閣の瓦が落ち城壁崩れてしまった熊本城、その近くにある熊本中央YMCAでボランティア・宿泊の受付を済ませ、熊本ハーベスト・チャーチ(中村陽志牧師・九州キリスト災害センター・熊本支部)に移動しました。

I did the state in Kumamoto city as far as I saw it, but there seemed to be little damage of the buildings. However, the outer wall of buildings fell everywhere, and a floor tile came off, and many piece of furniture which was not usable was loaded onto the road side, and I felt the scar of the big earthquake with my mind. The castle tower of Kumamoto castle fell down by this earthquake, and most of castle walls have collapsed. In the Kumamoto YMCA Center nearby, we finished the acceptance of volunteer work and the staying at night, and then we moved to Kumamoto Harvest Church, which is Kumamoto branch of Kyushu Christ Disaster Center and representative is Pastor Yoji Nakamura.

そこは、熊本の災害センターの事務局で、いろいろな所から送られてきた救援物資が積まれ、日本国際飢餓対策機構から派遣されたスタッフの方々が、ボランティの対応に忙しくされていました。そこから私達は、もう一つのベースになっていた木山キリスト教会に移動しました。そこの小田真由美先生と話していたら何と同じ神学校の卒業生で、びっくりしました。
ここは今回被害が一番大きかった益城町にある教会でした。教会の建物は大丈夫でしたが、近隣は、多くの建物が全壊、半壊の状態でした。私達は、その被害の大きさをテレビで見ていましたが、直接この目で見て二回の地震の恐ろしさを実感しました。

This is the disaster center office and a lot of relief goods from various places were heaped up, and some staff members who dispatched by Japan International Food for the Hungry (JIFH) made it busy to correspond to the volunteer workers came from various places. We moved to the Kiyama Christ Church which is another disaster center from here again. I was surprised that I was identified as the graduate of what same theological college while I talked with Pastor Mayumi Oda of the church. It was the church in the Masuki town where damage was the heaviest by this earthquake here. The building of this church was all right but the buildings the neighborhood were a state of partial destruction and the complete destruction. Although we saw seriousness of the damage of this town on TV and knew it, but we came to here and saw it with my naked eyes directly and realized the terror of the earthquake.


私達は、ここのスタッフの依頼を受けて4つの避難所(愛児園、広安西小学校、飯野小学校、いこいの里)に出かけました。その目的は、5日~7日の間、避難所での炊き出し(200人分)のニーズを聞いてくることでした。すでに他の団体が炊き出しをしている所や、避難所の人数だけでなく近隣の人も来られるので500人の炊き出しが必要であること等の理由で丁寧に断られましたが、いこいの里だけが、炊き出しの申し込みをされ、行って良かったと思い、主に感謝しました。

We went to four refuges; Aijien Kindergarten, Hiroyasu-Nishi Elementary School, Iino Elementary School and Ikoino-Sato nursing home for the aged; in response to a request of the staff here. The purpose was to hear needs of the distribution of boiled rice at the refuge. There were q place where beginning to cook it to people of neighborhood where other volunteer party had already done distribution of boiled rice. Only “Ikoino-Sato old people’s home” applied for our distribution of boiled rice after all. We thanked the Lord when it was good to go round several places of refuges.

広安西小学校の避難所では、大阪から車で来た「たこやき屋」のテントがあり、被災者の皆さんにたこやきをふるまっていました。避難している子供たちが嬉しそうに食べているのを見て、こちらも嬉しくなりました。
二日目の3日は、激しい雨の中、6名のチームで、阿蘇、西原村の避難所「たんぽぽのハウス」に出かけました。約一時間かかりました。ここは私達が一度通って来た所で前述の通り、この地域も大きな被害を受けていました。ここでは炊き出しの手伝いをすることになっていましたが、連絡の手違いがあり、炊き出しの手伝いではなく、部屋に積まれた救援物資の移動、段ボールの片付けなどをして帰って来ました。

There is a Takoyaki tent on the ground of Hiroyasu-Nishi Elementary School. Takoyaki volunteer, they acted bravely Takoyaki on the people of the affected people. We became glad to see children who evacuated ate Takoyaki joyfully, too.

※Takoyaki is a ball-shaped Japanese snack made of a wheat flour – based batter and cooked in a special molded-pan. It is typically filed with minced or diced octopus, tempura scraps, pickled ginger, and green onion. On May 3 of the second day, I went Aso area and refuge “Tanpopo-No-House” of Nishihara village in intense rain by the team of six people. It took about an hour. This area suffered big damage here in the place where we went once, too. I was to help with the distribution of boiled rice here, but there was slip-up of the communication and did the movement of relief supplies loaded on to the room not a help of distribution of boiled rice and putting in order of the corrugated cardboard.

妻(洋子)は、熊本中央YMCAに残り、宣教師の方と一緒にボランティアの受付をしました。連休でボランティアの方がいっぺんに増えて、朝から夜までかかりました。
今回のボランティアには、シンガポール、韓国、ワイキキから、日本の各地から、いろいろなボランティアチームが来ていました。神を信じキリストの愛に生きるキリスト者として、いっしょに活動が出来たことは、大きな恵みであり感謝でした。
これからも被災者の方々のために祈り、又、被災地に出かけることが出来たらと願っています。
若い方々に「ボランティアに行きませんか」と声をかけたいと思います。
 皆様の祈りに感謝しつつ。

My wife Yoko stayed in the Kumamoto YMCA, and she did reception clerk for volunteer workers who came over here with a missionary. Because volunteer people increased at once in consecutive holidays, it took her work from morning to evening. As for volunteer workers, various volunteer teams came from Singapore, South Korea, Waikiki of Hawaii, and each place of Japan this time. It was a big blessing and it was thank to have come by volunteer activity with them as the Christian who we believe in God and lives for love of Christ.
We pray for affected people from now on, in addition, we wish that we can go to the stricken area again. We want to call out to young people “shall we go for a volunteer?”
While thanking for the prayer of all of you … ….

[Translated by Takanori Sasaki of JMF]

熊本地震レポート 宮崎南教会 佐藤省三

“Kumamoto Earthquake Report” May 8, 2016
By Shozo Sato of Miyazaki Minami Church

2016年4月14日21時46分ごろ、熊本地方を震源とするマグニチュード6.5、最大震度7の大地震が発生。

6日の早朝

1時56分にも「本震」と言われている、震度7の激しい地震が起きました。最初の地震で打撃を受けながらもかろうじて立っていた家屋の多くが倒壊しました。
 その後断続的に余震が1200回を越え、
最初からの一連の地震で、(4月26日現在)熊本県内で関連死を含め60人を超える死者、多数の負傷者が出ています。

A major earthquake that magnitude 6.5, or the biggest seismic intensity of 7 were generated assuming Kumamoto region cause at 21:26 on April 14, 2016. An intense earthquake with a seismic intense of 7 to be said to be “a main shock” at 1:56 on the early morning of April 16 was generated. Most houses which were barely standing while getting a blow by the first earthquake, but they were collapsed by this main shock. 1,200 times of after earthquakes exceed it intermittently afterwards. As of April 26, the dead person more than 60 and a large number of injured people appear including allied death by a series of earthquakes from a beginning in Kumamoto prefecture.


ご承知のように、被害は隣接する大分県や宮崎県の一部にも広がり、さらにいつ収束するか、予測ができない状況にあります。
熊本県内では地震で、一時、新幹線が運転を休止し、高速道路が通行止めになり、物流が停滞、スーパーでは生鮮食品など生活必需品が少なくなりました。
いまだに2万人以上の人が避難所生活を強いられ、水道、電気、ガスなどの止まっているところがあります。
教会関係では、阿蘇市、熊本市、山鹿市、宇城市、益城町などに被災した教会堂・牧師館等があります。

As you know, the damage spreads through a part of the neighboring prefectures, Oita and Miyazaki. And it is in condition to be able to predict when the earthquake converges. In Kumamoto prefecture, under the influence of earthquakes, the Shinkansen train stopped, the expressway was closed to traffic, and because distribution was delayed, necessities including perishable decreased in the supermarket at one time. Life as an evacuee is still forced to more than 20,000 people. And there is the place where water supply, electricity and gas stop. By the church relations, there are cathedrals or church buildings and the personages or pastor’s houses which suffered from earthquakes in Aso city, Kumamoto city, Uki city, and the Masuki town.


次は、山鹿市にお住いの、鹿本キリスト教会の原口泉牧師の15日の報告です。


熊本東聖書キリスト教会に行き、被害状況を見てきました。
ちょうど現地に豊世武士先生ご夫妻にもお会いできました。
先生ご夫妻はお疲れでしたが無事です。

The following is a report of April 15 of the pastor Jzumi Haraguchi of the Kamoto Christ Church living in the Yamaga city. I went to Kumamoto Higashi Bible Christ Church and saw the damage state. I was able to just meet Mr. and Mrs. Takeshi Toyose in the scene of the disaster. Pastor Toyose and his wife were very tired, but they were safe.


建物は写真の通りです。
私が現地で見た範囲では、建物の被害で、東教会の被害が一番ひどかったです。
古い納屋がつぶれていたり、壁や瓦が落ちていたり、ブロック塀が崩れていたり、そういった箇所は見ましたが、
東教会ほどの被害は見ませんでした。
東教会は、建物の1階部分を使い、先生ご家族も住んでいます。
建物の2階は別の人が住んでいます。 先生ご夫妻はつぶれた1階の裏手(玄関と反対側)から這って出てこられました。
娘さんの美文さんは、風呂場のドアの下敷きになり,手が挟まれて出て来れませんでした。
正座したままの姿勢で動けなかったそうです。
救助隊が駆けつけ地震から5時間後に救出されました。
今は日赤で治療を受けています。
骨折もなく、1週間以内で退院できそうだと聞きました。
医師の見込みでは後遺症も残らないだろうという事です。

The damaged buildings are the next pictures. It was a building of the Higashi Church that was the most terrible by the damage of the buildings as far as I saw it in the scene of the disaster. There were the damaged houses such as the broken old shed, and falling walls, and some of the roof tiles, and the walls made of blocks were destroyed in everywhere. But the Higashi Church suffered the biggest damage in comparison with them. The building of the Higashi Church was used the first floor at two stories as a church. A different family lived in the second floor. Pastor Toyose and his wife got out the creep from the back of first floor in the broken building. But their daughter Mifumi San could not get out it because she was crushed under the door of the bathroom and a hand was caught in it. She did not seem to be able to move for a posture sitting straight. A rescue team rushed, and she was rescued five hours after an earthquake occurrence. She was treated in Japan Red Cross Hospital then. I heard that she seemed to be able to leave the hospital without a bone fracture within one week. The doctor is expected, and after effects are not to stay, too.


豊世先生ご夫妻は、今晩はどこに泊まるかわからないとおっしゃっていました。
美文さんのいる日赤か、益城文化会館(避難所)か、ご長男宅(熊本市内で無事)か、熊本北聖書キリスト教会か、その中の どこかになるだろうという事でした。
食べ物飲み物については、二人の息子さんが用意してもってきておられました。
息子さん方は被害がなかったようで、ご両親をしっかり支えておられるようでした。
その他にも支援物資が届いているようです。
衣類は先生が建物に入って必要な物を持ち出されたそうです。
自動車は,瓦が落ちてきてフロントガラスにひびが入っていました。
動きますが危険な状態です。
娘さんの自動車は無事ですので、先生方はその車で移動しています。
これから先の生活や、教会のことがどうなっていくのかは、
まだまだとても考えられないという雰囲気でした。
教会の方々も数名来ておられました 。
明日は教会前の駐車場で机を並べて地域の方々に給水のサービスをするそうです。

Mr. and Mrs. Toyose said that they did not know where they stay at night. Maybe they could stay at night in the hospital with their daughter, or Masuki Cultural Center of the refuge, or eldest son’s house in the Kumamoto city, or Kumamoto Kita Bible Christ Church. Their two sons cared for their food and the drinks. They did not have damage and supported their parents well. Support supplies also reached them from the relief center, and pastor Toyose took out the necessary things including the clothing from their home. Some roof tiles fell the car windshield and cracked it. Engine of the car starts, but it is state that it is dangerous to run. Because the car of their daughter was safe, they move by her car. It was the atmosphere that it was hardly yet thought very much what happened to former life and church from their state from now on. Several members of the church came here anxiously. They will display desks at the parking lot in front of church building tomorrow and make a plan of the water supply service to community people.


(なお、この建物は16日早朝の本震で倒壊しました。)
“This church building was collapsed by that main earthquake in the early morning, April 16.”

東教会の後に木山キリスト教会(藤本聖子師、小田真由美師)にも行きました。
建物は、外から見る限り被害はありません。
ただ建物に沿って一周地面に亀裂が入っています。
建物の中は棚などがことごとく倒れめちゃくちゃになっていました。
食器はほとんど割れていまいした。
教会員の方々が集まってきて片付けをしていました。
私も手伝ってきましたので,この報告が遅れてしまいました。
教会員や近所の人3人が教会に避難していて、今晩も小田先生といっしょに泊まるそうです。電気、水道は使えません。
ガスはプロパンですが,ガス漏れを心配して使っておられませんでした。

I also went to the Kiyama Christ Church afterwards. There is no damage in the church building as far as I see it from the outside. The one round ground only cracks along the building. Shelves all fell down, they were wrecked in the building. Most of the tableware was broken. The members of the church gathered and cleared up. I helped it too. Pastor Mayumi Oda and Pastor Seiko Fujimoto are living now. And this church was used as an evacuation site for members of the church and neighboring. Three persons seem to stay here tonight with Pastor , use it worrying about a gas leak.


とりあえず思いつくままにご報告します。
各方面へのご連絡、支援のアピール、よろしくお願いします。

原口泉

I report with hitting first of all. Thank you very much for sending may notification to the various people and appealing the support of the suffering people.( Written by Haraguch.)





さて、当の原口牧師のお住いも大きな揺れで瓦が落ちる、という被害がありました。

This report from Pastor Izumi Haraguchi . By the way there was the damage that a building shook by the earthquake greatly, and some roof tiles fell down of the house of Pastor Haraguchi the very person.

2階の屋根の瓦が落下し、下の屋根瓦を壊しました。
幸い、近所の方が瓦を提供する、と申し出てくださいましたが、その瓦がぴったり同じ形で、それも壊れた部分を修理するのに必要な150枚に少し余る、という、まさに「主の山に備えあり」でした。
それで、原口家の家族と佐藤で、応急修理をして、ブルーシートが外れました。
ただ、屋根に登って修理をしているとき、大きな揺れが2回ありました。まだまだ、地震の最中なのです。

The second-floor roof tiles dropped and broke the first-floor roof tiles. A neighborhood provided a lot of roof tiles for the repair of the roof. Those tiles were just the same form. It was beyond 150 pieces necessary to repair a broken-part a little, too. That’s exactly that there is the preparation on the Lord’s mountain. They covered a roof with some blue seats for a rain leak, but Haraguchi family and me Sato have finished the emergency tinker of the roof and were able to take off them. But there were two times of big shaking of the earthquakes when we repaired the top on the roof. It is more in the middle of the earthquake.

熊本市内と益城町の被害は報道されていますが、熊本の行き帰りが大変でした。 18日、19日の熊本往復は、いつもなら2時間半で着くところが、八代〜植木間の高速が使えないので、一般道路、行きは6時間、帰りは8時間もかかる大渋滞で、「交通停滞」という新しい言葉がを耳にしました。

The damage of the Kumamoto city and the Masuki town was reported by news media, but going and returning to Kumamoto was great trouble. Because an expressway was not usable, we went on a general road to Kumamoto. I left Miyazaki on April 18, and six hours reached Kumamoto, and the return of 19th took the next day for eight hours. It was for a great traffic jam and heard new words called “traffic jam-up.”

道路脇にこんな光景が・・・。

There was such a scene ……in the roadside ….

九州道緑川PA付近の道路の落下です。道路公団の写真から。

“This is a falling down of road near by Midorikawa Parking Area of Kyushu Expressway.”[a picture from Japan Highway Public Corporation] 

いまは、片付けて通れるようになっていました。地震の力はすごいですね。

You can go through on this street after clean up now. I think the power of the earthquake is very strong.

その付近は、高速道路の崩落があり、片側一車線通行になっています。
しかも、「一旦停止規制」。 これでまた、渋滞がひどくなっています。

There is the collapse of the expressway, and the neighborhood becomes the one side traffic lane. Besides, it is “regulation to temporarily stop.” A traffic jam becomes severe in this again.

被災された方々、被災された教会の上に、主の慰めと祝福、そして復興への備えがありますよう、お祈りします。

I pray that there is a comfort and the blessing of the Lord for people suffered from and for the churches suffered from, and there is a preparation for revival. Amen.

[Translated English by Takanori Sasaki of JMF]

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